5.車仲間

 

25年前にカフェレーサーという、
25ccのマイクロバイクのレースが流行ったんだけど、
そのキットを設計して、売り出したのが、大宮さん。
と彼らの仲間、中古車ディーラーだったジャクソンチームも加わり、
バイバイポルシェチームも頑張ったけど、、、
ワーゲンの日本初の専門ショップ、スキャットエンタープライズの生みの親、古沢氏(中)。
そこから独立してフラット4を立ち上げ、苦難の末に日本第一のショップにした小森氏(右)。
小森氏と一緒に、最初のフラット4でマークデザインなどで活躍した新津氏(左)。
彼らとは、ワーゲンショップを作るので、原宿の喫茶店でよく、会議をして、
その後の日本のワーゲン活動の基礎を作ったと思っています。
当時小森氏がいじって乗っていた02タイプ1.
ブラックにゴールドのピンストライプが粋でした。
ホイールはAMP。
小森氏は他にもトライアンフの
クラッシックオープンを所有。
今のワーゲンなどの日本版カルルックを広めました。
松田に住む譲原氏のフォードタイプボンネットのイエローカリブオレ。
サイドもウッディで決めて、
これは伊豆の下田でゲットした女の子二人のショットです。
右の子とは、1年付き合ったけど、六本木のクラブでギターの弾き語りしてて、
いつも、薬でラリってたな。
高校生からのサイクリング仲間で、武蔵工業大学に行った面々
後藤氏(左)彼とは、中学の英語塾からの付き合い、ビートルズを聴き、スロットルレーシングで遊び、サイクルキャンプをしたり、色んな実験もしたな、今は彼は、ショックで有名なトキコの重役でアメリカにいる。車は彼の愛車プリンススカイラインのセダン、赤で中身はレストアして、今でも現役で走っている。今の足はアウディのクワトロで、アメリカからわざわざ運んできた。
菊池氏(中)、日産ブルバードの尻下がりの、ピニンファリーナがデザインの410をアルファ風に仕上げて、、、インド人風の容姿でモデルもしてた?一緒に、船舶免許の1級を取ったり、エンジンつきのサーフボード(サーフジェット)をシボレーサイドステップに乗せて、鎌倉七里によく行ったな。結構乗れるまで二人で練習して、パワースライドもできるようになった。
長島氏(右)親父は、プリンスのテストラリードライバーとして、62‘spa liege Sofia liege Marathon de la Route,などに出場、家は新宿の厚生年金会館のそばで古くからのタイヤ屋。今は家業を継いでる。親の血筋か、運転の感は鋭く。日産スカイラインGTを操って、246号を200キロぐらいで走り、新しいサスやブレーキテストでやびつ峠を走りまくりましたね。当時は林道で道があれて、岩がゴロゴロしてたり、鉄砲水の後にはまったり、原付で日本一周して、ついにはSouth American Mar athon Raid‘90.にバイクで参加してる。自転車でも、川崎の百合丘から、新宿まで27分という記録の持ち主。
長島の親父が乗っていたプリンススカイラインスポーツ!!
なんと手作り、ピニンファリーナのデザイン!!
親父はプリンスのテストドライバーで
62 spa liege Sofia liege Marathon de la Route に日本人で初めて、ラリーに参加。
長島自身はバイクでSouth American Marathon Raid'90 に参加してる。
ココは、新宿の西、阪納自動車です。
ツツミ 友彦氏のグラチャンのホームガレージで
富士の高速用にバナナウイングを歩道の横の
ガードレールのパイプにジュラルミンの板を
回して作り上げてしまう、天才板金術氏、
バンノウさんの懐かしい工場。
娘さんも奥さんも兄弟も、みな良い人で、
サンタナ風の風貌で、
いい男、いい女の貯まり場でした。
ツツミ氏は中国人風。
阪納さんは2003年に天国に旅立ちました。
ご冥福をお祈りいたします。
バイバイポルシェをターボにするとき、
麻布にあったカリフォルニアオートモーティブで
働いてました。
そのオーナは京都のアメリカン鴈乃助?の
ステーキオーナの趣味?
左がマネージャー、手前が娘さん。
フラット4の小森さんの若き頃、
スキャットのオーナーと一緒に
ボート遊びしてました。
カメラマンの小谷氏は当時雑誌掲載でお会いしてからの長い付き合い
妹さん晴美さんは、女性誌グラビアのスタイリストでお世話になりました!
ここは横浜の公園での取材休憩中。
 


6.無免で事故!
おっとこれは、私が17歳の時に無免で事故った
親父のアウディスパー90.
夜中の山の手線のガード下の暗い欄干に擦ったもの。
これで、夜中にこっそり
運転してたのがばれてしまった。


7.ワーゲン改造記(バイバイポルシェ)

岐阜でデフが壊れ、はるばる、菊池、安藤に東名を牽引してもらって来たものの、
全て、下のものを新しいものにすると決意。
ボディは54年のまま。
まずは、バルボリンのアンダコートやホルトのジンクコートなどで錆び止。
その下回りに使ったのが、
12ボルトで新しい68年のフロアー。
これは、そのフロアーにベニヤ板と金網にFRP処理して、
ベンツSSK風に仕上げた。ワーゲン。
エンジン足回りはノーマル。
リヤフードリヤサイドは、そのまま。
でも、軽いのでこれは面白かった乗車位置もリヤタイヤの上で。
リヤの重さゆえに、コーナで簡単にケツが流れて、
ドリフトにしやすくて、、、
日本で初めてのオフロードレース。
大島で行って、アメリカから、
わざわざフォードブロンコ、サンドマスターまで来た。
私は、芝にあった、
カリフォルニアオートモーティブのメカで参加、
チョッパーワーゲンで、
2200ccにラジェイのターボをセット、
リヤは馬鹿でかいオフロード用のタイヤで、
もちろん大島の山の斜面ののぼりで、
あえなくエンジンブロー!
ワーゲンのシャーシフロアー。
手前が68年を自分でチューンしたもの。向こうが54年のオリジナル。
右ハンドルを左に治した、ボディは左ハンドルだったので、
ホイルはクロモドラ、タイヤはミシュランVWX。
これは、自分でクランクケースの加工から、
組上げまでやった、
バイバイポルシェのエンジン、
2200CCラジェイターボキットをつけました。
エンジンスタート用のフュエルを
要とします。
組み立て中のインテリア、
チークのボートをハンドメイドで削り出し。
ココは新宿、阪納自動車です。

阪納自動車での板金加工半分は教わりながら自分で叩いた。
ようやく、下地仕上げに入る。
ココは、六本木のスター&ストライプスの裏、米軍PXガレージです。
ポルトガルの牧師さんとの約束。赤と黒をそのままです。でも、赤も黒もメタリックを入れました。
完成したばかりのバイバイポルシェ。横浜の山手、米軍ハウスの前で。
左横は、同色に仕上げた、ホンダモンキーのカフェレーサ。
フロントスカートを作りに、高島平の大田自動車で。
ここの大田兄弟のところで、
小森氏のオーバルスプリットは、
ルーフをチョップトップした。
ミニクーパーもチョップトップにして、
ルーフのい溶接ラインを消したブルーラメペイントの
すごいカスタムも作りましたね。
お客からの預かりメッサーシュミットと、イギリスのバイク。


8.改造パーツアメリカ購入スナップ
ワーゲンのパーツを求めて、アメリカへ、ビルシュタインのショックなどは、
当時、日本にはなく、コニーぐらい。
カリフォルニアバハで見かけた、本物のバハ仕様。
ここは、エンジンパーツで有名。ノリス。
ココは、シャーシとか、ミッションの強化パーツのケーノス。
ここは、ブレーキ、クラッチのパーツ屋。
ナローデフのホットロッド仕様、
こんなのが平気で街中を走ってるんだけど、、
けっして飛ばしたりはしない、
排気音さえ、うるさいカリフォルニアの規制!
25年まえのはやり、ホットパンツでローラスケートに興じる女の子。
ここはロスのベニスビーチ。映画のプロデューサとか関係者が多くいるので、
スカウト希望の地方の娘が、うようよ。
すぐに乗ってくるよ!

ロングビーチで街中を封鎖して行われた、F-1グランプリ。
直線の金網フェンスの向こうで300キロで駆け抜ける、車。
騎馬警官が警備してて、あまりの暑さに消火栓の水を放水してた。
H_−1フリーウエイでの、ワーゲンバスとコルベット。
50、sのトラック、カスタマイズが粋。
ロスのバンナイスで見かけた、サイドステップ、アルミのキャノピーとイエローが良いね。
 
<< ガレ−ジトップヘ