バター不足で考えた! どの脂質が身体に良い?

参考:2016/9/27 日経Gooday

医学博士 大西睦子のそれって本当? 食・医療・健康のナゾ

バター不足で考えた! どの脂質が身体に良い?

50年以上続く米国の「脂質闘争」を振り返る

 食、医療など“健康”にまつわる情報は日々更新され、あふれています。この連載では、現在米国ボストン在住の大西睦子氏が、ハーバード大学における食事や遺伝子と病気に関する基礎研究の経験、論文や米国での状況などを交えながら、健康や医療に関するさまざまな疑問や話題を、グローバルな視点で解説していきます。  2016年5月、農林水産省はバター6000トン、脱脂粉乳2000トン、練乳500トンの追加輸入をすると発表しました。バターの追加輸入は3年連続です。バターの品薄問題は以前から話題になっていますが、では、栄養素的にはバターが不足すると、どんな影響があるのでしょうか? 他の脂肪に置き換えることはできないのでしょうか?

栄養素的に、バターは他の脂質で代用できる?

品不足が続くバター。バターを食べないでいると、私たちの健康にどのくらい影響があるのでしょうか。(©Stephen Gibson -123rf)
品不足が続くバター。バターを食べないでいると、私たちの健康にどのくらい影響があるのでしょうか。(©Stephen Gibson -123rf)
 三大栄養素の1つである脂質は、私たちの健康にとって、なくてはならないものです。脂質は細胞膜やホルモンを作る材料となり、主要なエネルギー源として貯蓄され、脂溶性ビタミンの吸収を助けます。
さて、日本ではバターの品薄が続いています。バターは脂質の供給源の1つですが、バターを食べていないでいると、私たちの健康にどのくらい影響があるのでしょうか? バターを他の脂質に置き換えることはできないのでしょうか? 残念ながら、この質問の答えは単純ではありません。実は脂質異常症、心臓病、肥満、糖尿病などの生活習慣病が深刻な問題である米国では、バターなどの脂質の健康的な摂取の方法に関して、長い間「脂質闘争(Fat Wars)」と呼ばれる議論が続いています。 この議論を理解するために、ハーバード大学公衆衛生大学院の、以下のサイトの情報を参考に、脂質闘争の歴史を振り返ってみたいと思います。
■参考文献 Harvard T.H. Chan School of Public Health「Is butter really back?
そこでまず、整理しておきたいのが、脂質の分類です。以下にまとめてみましょう。

【脂質の分類 1】飽和脂肪酸

バターやラードなど、肉類や乳製品の動物性脂肪に多く含まれ、常温では固体で存在しています。

【脂質の分類 2】不飽和脂肪酸

魚類や植物油に多く含まれ、常温では液状で存在。不飽和脂肪酸は、さらに一価不飽和脂肪酸と、多価不飽和脂肪酸の2種類に分類されます。 このうち一価不飽和脂肪酸とは、オリーブ油に多く含まれるオレイン酸などです。 多価不飽和脂肪酸は、体の中で合成できないため、食べ物からとらなければならない必須脂肪酸になります。多価不飽和脂肪酸は、オメガ3系脂肪酸とオメガ6系脂肪酸に分類されます。 多価不飽和脂肪酸のオメガ3系脂肪酸は、魚油に多く含まれるイコサペンタエン酸(IPA)、ドコサヘキサエン酸(DHA)、えごま油やなたね油などに含まれるα-リノレン酸などのこと。またオメガ6系脂肪酸は、大豆油やコーン油など一般的な植物油に多く含まれるリノール酸などのことです。

【脂肪の分類 3】トランス脂肪酸

常温で液体の植物性油に水素添加をして人工的に製造された固形の油。マーガリン、ファーストフード、インスタント食品などに含まれています。

脂質闘争、勃発! 米国で脂質が健康の敵となった日

では、脂質闘争とはなんでしょうか? 食事をおいしく食べやすくするため、大昔から多くの人に愛されてきた脂質が、米国人の健康の敵となったのは、1961年1月13日と推測されます。この日、米ミネソタ大学のアンセル・キーズ(Ancel Keys)博士が、雑誌「タイム(TIME)」の表紙を飾り、大きな話題となったのです。 キーズ博士は第二次世界大戦後から、食生活と健康、特に心疾患との関係に着目するようになりました。当時、心疾患は米国人の主要な死因でしたが、その原因が究明されていなかったのです。 そこでキーズ博士は、日本を含む7カ国の国民のライフスタイルと心疾患のリスクの調査(Seven Countries Study)を行い、その結果、冠状動脈性心疾患の罹患率や死亡率は、各国間で十倍も違うことがあることを示しました。 1950年代に始まったこの研究は、今日でも続いています。
■参考文献 Ancel Keys「The Seven Countries Study
さらにキーズ博士は、飽和脂肪酸の摂取量と、地域ごとの心疾患の発症率との関連性を見いだしました。一方で、総脂肪摂取量と心疾患の発症率には関連性がないことも分かりました。例えば、心疾患の発症率が最も低いクレタ島の総脂肪摂取量は、当時心疾患発症率が最も高かったフィンランドと同じだったのです。このことから、キーズ博士は、飽和脂肪酸を多く摂取する国で、心疾患に苦しむ人が多いと結論づけました。 キーズ博士の初期の報告では、因果関係まで証明できず、さらなる研究の必要性が示唆されました。実際、その後多くの研究によって、総脂肪摂取量は心疾患には影響しないことが証明されたのです。

すべての脂質が敵というわけではない

1970年代になると、例えば多価不飽和脂肪酸は、悪玉(LDL)コレステロールを減少させ、善玉(HDL)コレステロールを上昇させるなど、種類が異なる脂質は、血中コレステロールに対して与える影響も異なると、キーズ博士やその他の多くの研究者らが報告するようになりました。 そして1990年代初頭には、ハーバード大学公衆衛生大学院のウォルター・ウィレット(Walter Willett)教授らが、トランス脂肪酸こそが、悪玉(LDL)コレステロールを増やし、善玉(HDL)を減らす、心疾患の大きなリスクになる脂肪だと結論づけました。同時に、世界中の科学者たちが、バターやラードなどの飽和脂肪酸が、悪玉(LDL)コレステロールと善玉(HDL)コレステロールの両方を増加させること、健康に対しては多価不飽和脂肪酸のような利益がないと示すようになりました。 つまり、これまでに示された多くの研究で、「すべての脂質が敵なわけではない」という結果が示されているのです。

単純化しすぎた米食生活ガイドライン

こうした研究結果があるにもかかわらず、1980年代、1990年代の米食生活のガイドラインでは、総脂肪摂取量を減らすことに焦点が絞られました。 例えば、ヘンリー・J・カイザー・ファミリー財団(The Henry J. Kaiser Family Foundation)は、1987年にLEAN(Low-Fat Eating for America Now:米国のための低脂肪食)と呼ばれるキャンペーンを始め、食事中の総脂肪摂取量を30%に減らすようにうながしたのです。このメッセージは広告やスーパーマーケットの販売促進で一気に広まりました。 また同時期に食品業界では、メーカーが食品から脂肪を除去し、砂糖と精製された炭水化物に置き換える商品を次々に発売しました。無脂肪サラダドレッシング、無脂肪アイスクリーム、低脂肪クッキーなどがスーパーマーケットの棚にたくさん並ぶようになり、その結果、米国人の砂糖や精製された炭水化物の摂取量が増加しました。 砂糖や精製された炭水化物の過剰摂取は、当然、肥満や糖尿病、心疾患などのリスクを増やします。

専門家が必死に努力するも、肥満問題は悪化

1997年になると、ハーバード大学公衆衛生大学院のフランク・フー(Frank Hu)博士が、「New England Journal of Medicine」誌に、8万82人の女性を対象にした画期的な疫学研究を報告しました。 それが、摂取する飽和脂肪酸のわずか5%を不飽和脂肪酸で置き換えると、なんと42%も心疾患のリスクの1つが減少すること。またトランス脂肪酸をわずか2%不飽和脂肪酸に置き換えるだけで、53%も心疾患のリスクの1つが減少するというものです。つまり、やはり重要なのは総脂肪摂取量ではなく、脂質の種類だったのです。 この報告はメディアでも報道されましたが、「低脂肪ダイエット」は、すでに多くの米国人の食生活に定着していました。残念ながら質の良い研究報告でも、多くの米国人のバイアスを変えることはできませんでした。 その後も「低脂肪」「無脂肪」をうたう砂糖や炭水化物に置き換えた、おいしい食品の消費は増え続け、それに伴い米国人の肥満問題がさらに悪化していきました。

異なる意見

そして今、2014年3月、英国ケンブリッジ大学のラジヴ・チョードゥリー(Rajiv Chowdhury)博士らによる、米国内科学会誌「Annals of Internal Medicine:AIM」に報告された論文を契機に、脂質闘争が再燃しています。
■参考文献 US National Library of Medicine National Institutes of Health「Association of dietary, circulating, and supplement fatty acids with coronary risk: a systematic review and meta-analysis.
心血管疾患に対する食事のガイドラインにおける「飽和脂肪酸の摂取を制限し、多価不飽和脂肪酸を多く消費する」という推奨に対し、チョードゥリー博士らが、「これを支持する証拠はない」という結論を下したのです。 多くの米国メディアは「飽和脂肪酸は悪者ではない」「飽和脂肪酸の摂取は心臓病と無関係」「バターが帰ってきた」などと報道し、大騒ぎになりました。
■参考文献 The New York Times「Butter Is Back
同時にこの報告に対して、多くの専門家の批判が始まりました。例えば、ウィレット教授は、「この分析は、複数の大きな間違いや見落としがあり、この結論は深刻な誤解を招くため無視するべき」と警告しています。
■参考文献 Harvard T.H. Chan School of Public Health「Dietary fat and heart disease study is seriously misleading

バターは魚や植物性の脂質に置き換える

以上のように、過去50年間にわたり脂質闘争は続いています。専門家によっても意見が異なる場合もあり、やはりこの質問の答えは単純ではありません。 ただし、ハーバード大学公衆衛生大学院の情報によると、ほとんどの科学者が同意する部分もあります。それが、以下の4項目になります。 [1]多価不飽和脂肪酸が豊富な食品の摂取は、心疾患のリスクが低下し、インスリン抵抗性を予防する。 [2]精製された炭水化物で飽和脂肪酸を置き換えても、心疾患のリスクは減らない。 [3]オリーブオイル、キャノーラ油、大豆油やナッツは、飽和脂肪酸を含むが、不飽和脂肪酸も多く含みヘルシーな脂質である。 [4]オメガ3およびオメガ6脂肪酸は、細胞膜の材料や、脳や神経の機能の維持などに必須。魚、ナッツや植物油などの様々なヘルシーな食品を摂取するべき。 つまり、米国の脂質闘争の教訓は、バターやラードなど、肉類や乳製品の動物性の脂質を、魚や植物性の脂質に置き換えることは、より健康上の利益があるということです。脂質を砂糖や炭水化物に置き換えることはNGです。むやみに低脂肪、無脂肪の加工食品を選んだりするのではなく、ぜひ、毎日の食生活を見直してくださいね。

大西睦子(おおにし むつこ)

医学博士
大西睦子(おおにし むつこ)
東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて、造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月より、ボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年4月より、ハーバード大学にて、食事や遺伝子と病気に関する基礎研究に従事。著書に『カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)。
日経トレンディネット2015年6月1日付け記事からの転載です。