増殖因子製剤で重度歯周病の歯茎を再生

参考:日経メディカル 2017/2/2 西村尚子=サイエンスライター

トレンド◎褥瘡治療に用いられるbFGFを使った世界初の歯周病治療薬

 昨年12月、サイトカインの一種であるbFGF(塩基性線維芽細胞成長因子)を有効成分とする世界初の歯周組織再生薬(一般名トラフェルミン[遺伝子組み換え]、商品名リグロス、科研製薬)が発売されました。適応症は「歯周炎による歯槽骨の欠損」。成分自体は2001年から販売されている褥瘡・皮膚潰瘍治療剤(商品名フィブラストスプレー)と同じですが、原薬であるbFGFの濃度を30倍高めた歯周病治療薬です。
大阪大学歯学研究科分子病態口腔科学専攻教授の村上伸也氏は、「歯周組織を積極的に再生させるのが我々の治療の目標だ」と紹介する。
大阪大学歯学研究科分子病態口腔科学専攻教授の村上伸也氏は、「歯周組織を積極的に再生させるのが我々の治療の目標だ」と紹介する。
FGFは1970年代初頭に、線維芽細胞の増殖を著しく促進させる生理活性物質としてウシの脳下垂体から見つかりました。その後、FGFには酸性型と塩基性型が存在すること、血管新生、軟組織や骨組織などの再生、胚成長、シグナル伝達といった多様な生理活性を持つことがわかり、再生医療への幅広い応用が期待されるようになりました。同時に大腸菌を用いた遺伝子組換え技術によるヒト型FGFの大量生産が可能になり、まずは褥瘡の治療薬として使われるようになった経緯があります。 「フィブラストスプレーが世に出る前から、我々もFGFが持つ幹細胞増殖誘導、幹細胞の分化能保持機能、血管新生能に着目して歯周病治療への応用について検討を始めていた」。開発初期段階からリグロスの治験に関わり、研究代表者を務めた大阪大学歯学研究科分子病態口腔科学専攻教授の村上伸也氏は振り返ります。

歯周炎治療で欠損した歯槽骨を再生させる

歯周病は歯肉、セメント質、歯根膜、歯槽骨から成る歯周組織に起きる慢性炎症。歯と歯肉の間の歯周ポケットが深くなり、歯垢(プラーク)や歯石が付着するとそこで細菌が増殖し、炎症が起こります。歯周病が歯周炎に進行すると炎症が歯周組織全体に広がり、歯槽骨が溶解して歯がぐらついたり、抜けたりしてしまいます。 そのため、進行した歯周炎にはフラップ手術と呼ばれる歯肉剥離掻爬手術が行われます。歯肉を切開し、内部に入り込んだ歯垢や歯石、炎症組織の除去、歯槽骨の整形などを施した後に歯肉を縫い合わせる術式です。手術時間は1時間から2時間程度で、約1週間後に抜糸して経過観察とフォローアップを行うのが標準とされます。
歯周組織の概要。歯と歯肉の間の歯周ポケットが深くなって歯垢が付着すると細菌が増殖し、炎症を引き起こす。この炎症により歯槽骨が溶解して歯がぐらついたり抜けたりする。(画像をクリックすると拡大します)
歯周組織の概要。歯と歯肉の間の歯周ポケットが深くなって歯垢が付着すると細菌が増殖し、炎症を引き起こす。この炎症により歯槽骨が溶解して歯がぐらついたり抜けたりする。(画像をクリックすると拡大します)

日本大学松戸歯学部歯周治療学講座教授の小方頼昌氏は「トラフェルミン製剤により歯槽骨の再生が促された」と語る。
日本大学松戸歯学部歯周治療学講座教授の小方頼昌氏は「トラフェルミン製剤により歯槽骨の再生が促された」と語る。
このフラップ手術により歯周組織の病変部を取り除くことができますが、歯周組織が回復する際に歯槽骨よりも歯肉の再生の方が早いため、本来は骨で埋まるべき部位が軟組織で埋まってしまう問題がありました。「トラフェルミン製剤を使うと、歯槽骨も早期に再生させることが期待できる」。第III相試験に参加した日本大学松戸歯学部歯周治療学講座教授の小方頼昌氏はそうコメントします。 実際、リグロスの添付文書には「歯肉剥離掻爬手術時に歯槽骨欠損部を満たす量を塗布する」とあります。
フラップ手術の様子(上)と掻爬した後の歯周組織の歯槽骨欠損部にトラフェルミン製剤を塗布する様子(下)(村上氏提供)
フラップ手術の様子(上)と掻爬した後の歯周組織の歯槽骨欠損部にトラフェルミン製剤を塗布する様子(下)(村上氏提供)
トラフェルミン製剤の有効性と安全性を評価した第III相試験は2つ行われました。1つは、歯槽骨欠損部に対してフラップ手術をした後に「トラフェルミン製剤を単回投与する群」とプラセボ群を比較したものです。投与36週後の歯槽骨増加率などが調べられ、歯槽骨の増加率はプラセボ群21.6%に対し、トラフェルミン製剤投与群は37.1%で有意に歯槽骨が増加することが示されました。もう1つの試験は後述する既存治療と比較して非劣性が示されるかどうかを検討したもので、こちらも非劣性を証明することができました。 村上氏によると、「これまでの歯周病治療は歯周組織破壊の原因を取り除く治療で、積極的に組織再生させるものではなかった」と指摘します。歯周組織を再生するには組織幹細胞が必要ですが、歯の根元と歯の間(歯根膜)には間葉系幹細胞があります。トラフェルミン製剤の治療戦略は、この組織幹細胞を刺激して増殖させ、骨芽細胞や線維芽細胞、セメント芽細胞に分化誘導させることで、歯周組織の再生を促すというものです。歯周組織の再生には歯槽骨だけでなく歯根膜やセメント質も協調して増殖することが必要ですが、歯根膜やセメント質は10~100μmの非常に薄い組織で、増殖の程度を客観的に評価することが難しいです。そこで画像で評価可能な歯槽骨の増加率により有効性が評価されたわけです(Journal of Bone and Mineral Research,vol.31,No.4,April2016,pp806-814)。そして既存治療と比較して歯槽骨の増加率が同等であることを示し、トラフェルミン製剤による歯槽骨の増加量は意味のあるものであるという考え方で有効性を示した形です。 「治験では、3カ月ほどで軟組織が、続いて歯槽骨が再生し、約9カ月後に治療効果が最大に達した。リグロスを投与された患者自身も傷の治りや歯肉の新生が良いと感じていたようだ」と村上氏は紹介します。

術後欠損を埋める先行品は「医療材料」

実はフラップ手術時に、歯槽骨欠損部が軟組織で埋まらないようにするために用いられてきた基材があります。幼若ブタの歯胚から抽出されたタンパク質(エナメルマトリックスデリバティブ:EMD)を用いたもので、1995年にスウェーデンで開発されました。日本では1998年に医療材料として承認されましたが、保険適用はされていません。2007年には大学病院等における先進医療として認められましたが、一般歯科では自費扱いで使われています。 歯胚周囲にはさまざまな成長因子が存在するため、EMD にも生理活性因子が含まれると想定されますが、エムドゲインはあくまでも歯周組織再生用の「材料」であって「医薬品」ではありません。Straumann のホームページにも「歯周治療における歯周組織再生環境を提供します」とあり、EMD中のサイトカインが再生誘導する旨の記述はありません。 米国では2005年より、ヒト血小板由来成長因子(PDGF-BB)と骨伝導性基質(βリン酸三カルシウムβ-TCP) を組み合わせた材料(GEM21S 製造元はBioMimetic Therapeutics社)も販売されています。こちらは材料であるにもかかわらず、PDGF-BBによる歯周組織の再生誘導能についてく強調しています。日本では承認されていませんが(β-TCP単体は吸収性骨補填剤として販売されている)、学会などで米国での使用症例が紹介されることもあり、国内でもよく知られているようです。 エムドゲインもGEM21Sもなぜ医薬品ではなく材料なのかという疑問が湧きますが、小方氏は「医薬品承認までの治験コスト、煩雑性、価格設定等の面から、メーカーが材料として売る方が得だと判断したのではないか」と推測します。

インプラントなどへの適応拡大目指して開発進む

リグロスには1カートリッジ当たり凍結乾燥品600μg(溶解液0.2mL)と1200μg(溶解液0.4mL)の2規格があり、薬価は600μgが約2万円、1200μgが約2万7000円。細胞増殖を促進させることから口腔癌の患者は禁忌とされているほか、インプラント治療に関する有効性と安全性は確立していない旨が記されています。溶解液はヒドロキシ・プロピル・セルロース(HPC)からなり、使用時に溶かして粘稠性の高いゲル状で用います。 新医薬品の規定により、トラフェルミン製剤には販売開始後6カ月間、適正使用を推進し、副作用等の情報を把握することが義務付けられます。科研製薬は、まずは治験に参加した大学病院での導入を推進することで安全性、副作用、有効性の情報を集約し、それらをフィードバックしつつ、開業歯科医への導入を目指す考えのようです。 海外に目を向けると、米国ではサンスターが科研製薬とライセンス契約しており、トラフェルミンとβ-TCPを組み合わせた開発が進められ、すでに治験が終了しています。「治験は私も面識のある歯科医師チームが手がけ、重度の骨欠損症例で有意な効果があったと報告している。私たちも、ビーグル犬モデルにより同様の結果を得ているが、国内においてヒトでの検証はなされていない。今後、リグロスに骨補填材を付加した場合の有効性や安全性が検討されることを期待している」と村上氏。欧州でもリグロスに興味を示す国が少なくないとされます。 厚生労働省や日本医師会は、80歳で20本以上の歯を維持することを目指す「8020運動」を推進しています。村上氏は「自分の歯を維持している高齢者が増えれば、重度の歯周病を抱えてしまう高齢者も増えることになる。将来的にはトラフェルミン製剤を改良して、より重度の歯周炎、インプラント設置、外傷による骨欠損などにも適応拡大が可能かもしれない」と予測します。多くのポテンシャルを秘めた「再生誘導製剤」への期待が、ますます高まりそうです。