Lesson19 


からだ想いシンポジウム
「たばこの害と禁煙治療-予防医療の重要性」
心疾患やがんを誘引、今からでも遅くない禁煙

たばこは心疾患、がんなど多くの病気の原因となっている。知らない間にCOPDという病気になり、手遅れになって死亡する人も増えている。非喫煙者を喫煙と同じ状態においてしまう受動喫煙も大きな問題だ。
たばこ対策としては税の引き上げ、広告規制、若年者への禁煙教育など社会的規制、さらにニコチン依存症という疾患の治療を促進するための医療施策も欠かせない。こうした観点から開かれた、からだ想いシンポジウム「たばこの害と禁煙治療−予防医療の重要性」では、その促進策などについて講演とパネル討論で多方面から検討した。


講演1 予防医療の重要性と促進策
健康守り経済的損失を防ぐ   日本医師会会長 植松治雄氏


最近の日本人のがん死亡は肺がんが増え、1993年には胃がんを抜いて一番多くなりました。たばこは多くの有害物質を含み、喫煙でそれが肺に入るだけでなく、だ液に溶けて口から食道を通って胃に行き、あらゆるところに影響が出るので、喉頭(こうとう)がんなどのほか、様々な種類のがんと関係があります。15歳までに喫煙を始めると発がんリスクは非喫煙者の30倍、26歳からでも7倍です。1996年、男子高校3年生の喫煙率は25%、女子は7%で、大問題です。

もう1つの問題は副流煙による受動喫煙。肺がんによる死亡率が1.19倍、狭心症や心筋梗塞(こうそく)による死亡率が1.25倍に上昇します。1日11本以上喫煙する妊婦が出産したお子さんは身長・体重とも非喫煙者より劣るなど、喫煙は健康に様々な害を及ぼします。

喫煙による経済的損害は非常に大きく、喫煙が原因の医療費が1兆3千億円、病気による労働力損失が5兆8千億円、火災、消防費用などを入れると7兆3千億円以上。たばこ税収入が寄与しても2兆円ほどで、差し引き約5兆円の損失です。

禁煙すると、1日で心筋梗塞のリスクが減り、2日たつと味覚、臭覚も戻る。2週間−3ヵ月で循環器機能が回復する。私も以前は喫煙者なので分かるが、禁煙すると歩いていても息切れしなくなり、咳(せき)や疲労がなくなる。5年、10年すると肺がんリスクも減ります。

日本医師会は「禁煙日医宣言」を打ち出し、既に全国の病院・診療所、医師会館の8、9割は禁煙です。今後も、禁煙指導やアドバイスの体制をつくり、健康を守る先頭に立っていきます。

講演2 まだまだ知られていないたばこの害
COPD、今後急増の懸念も

東京大学院医学系研究科呼吸器内科学教授   長瀬隆英氏

喫煙が発病の原因となる慢性閉塞性疾患(COPD)は、世界保健機関(WHO)調べの1990年の世界死亡原因順位で第6位、2020年には第3位の予測です。日本でも高齢化等で予想されます。COPDは末梢(まっしょう)気道または肺胞の炎症や破壊によって発症し、肺の中の穴がぼこぼこと開いてしまう非常に危険な疾患です。

高齢喫煙者が慢性的な咳や体を動かした時に息切れがする場合、COPDが疑われます。
口をすぼめてゆっくりと息を吐く(口すぼめ呼吸)ことが多く、さらに重症になるとチアノーゼ(唇や皮膚の色が青っぽくなる状態)、浮腫(むくみ)なども出ます。早期発見には病院外来などでの肺機能検査(スパイロメトリー)が重要です。

治療は気管支拡張薬の吸入が第一で、肺気管支の迷走神経をブロックする抗コリン剤を使います。COPDの進行は禁煙で防止できます。肺機能は健常者でも加齢とともに徐々に低下します。喫煙COPD患者では急速に肺機能が落ちていくが、禁煙するすれば機能低下のスピードは遅くなるので、いかに早くから禁煙するかが大切です。

COPDの診断、管理、予防の世界的指針「GOLD」は、患者に喫煙・非喫煙を聞き(Ask)、喫煙者には禁煙を強く勧告し(Advise)、どの程度禁煙するつもりか評価(Assess)、援助(Assist)、プログラムの企画・立案・調整(Arrange)という5つのAを推奨します。
医師による禁煙サポートも利用して、ぜひたばこをやめてください。

講演3 喫煙習慣の本質はニコチン依存症
依存症治療として保険対象に
大阪府立成人病センター調査部長  大島 明氏

禁煙が困難なのはニコチン依存症のためで、WHOの疾病類ではアヘンや大麻などの依存症と同じカテゴリーに分類されています。受動喫煙で周囲の人を害する問題もあります。

英国での調査では、70歳まで生存する確率は、非喫煙者の81%に対し、喫煙者は58%。しかし、25−34歳で禁煙すると生存率は非喫煙者とほぼ同様になり、45−54歳でやめても生存率は非喫煙者に近づく。「もう年だから今さら禁煙しても仕方がない」ということはありません。

英国では1999年から医療保障制度の中で禁煙治療を給付し、禁煙専門クリニックでの専門医による支援、ニコチンガムやニコチンパッチなどのニコチン代替療法をおおむね無料提供しています。

こうした制度導入の大きな根拠が、禁煙治療の非常に優れた費用対効果です。1人1年間救命するのに、禁煙治療では薬剤を使っても6百ポンド(約12万円)で、高脂血症の治療では4千ポンド(約80万円)以上かかることと比べ、費用対効果が非常に高いことがわかります。

日本の健康保険制度では予防は給付の対象ではないが、禁煙治療は予防ではなくニコチン依存症に対する治療とはっきり結論づけて保険給付の対象とすべきです。

日本は「たばこ枠組み条約」を批准した以上、たばこ価格・税の引き上げ、警告表示の強化、広告規制、自動販売機の制限などが国際的な約束として求められます。そして、禁煙治療を行う仕組みの整備が課題です。

講演4 米国での禁煙治療の取り組み
煙のない環境づくりを目指せ
メイヨー・クリニックニコチン依存症センターディレクター/メイヨー・クリニック医科大学教授
リチャード・D・ハート氏

たばこの煙は60種類以上の発がん性物質を含む4千種類以上の化学物質から成り、米国では年間40万人以上が喫煙で死亡しています。ただ、1965年に喫煙率が41%から22.8%へ低下し、特に若年層での非喫煙者の増加という朗報もあります。米国公衆衛生局の2000年のガイドラインによると、ニコチン依存症も糖尿病などと同様に慢性疾患であり、他の疾患と同じように治療の必要があります。

若年層への喫煙防止策は重要ですが、その効果はかなり先に累積効果として出るものです。これに対し、喫煙者が禁煙する場合、その効果はすぐに出ます。例えば、中年の喫煙者でも禁煙に成功して1年経過すると肺がんリスクは50%以下に下がります。だから、喫煙防止策とニコチン依存症治療の組み合わせが重要です。

88年4月に開設した私たちのプログラムは行動療法、薬物療法、カウンセリングを含めた総合的アプローチで、外来・入院いずれにも対応します。8日間の入院治療プログラムでは患者は全くたばこのない環境の中、医師・カウンセラーの回診、グループセラピー、個人に合わせた薬物療法などを組み合わせた治療を受けます。

室内の禁煙環境整備も大切で、職場を禁煙にすると1日の喫煙本数が減り、喫煙率も下がります。人々の健康のため、煙のない職場、煙のない環境づくりは非常に大事です。禁煙成功者も、煙がなければ再び喫煙したいと思わないでしょう。

パネル討論
広告や自販機、禁煙環境の整備を 
予防への投資が医療費の節約に


<パネリスト>
植松治雄氏   長瀬隆英氏   大島 明氏   リチャード・D・ハート氏
<司会>
NHK解説委員   谷田部雅嗣氏

司会 米国での喫煙率が下がったといってもまだ20%以上。最終的にどこまで下がるのか。引き下げのポイントは何でしょうか。

ハート 2015年には15%まで下げたい。まずたばこ業界の抵抗に打ち勝つ、第2は喫煙者に希望を与えることです。一度禁煙に失敗した人は自信をなくしているから、自信を与えることが重要です。また喫煙者だけでは禁煙はできない。高脂血症や高血圧の患者同様に医療の助けが必要です。

大島 日本でも禁煙したいと思う人は多いが、米国に比べてたばこの価格は安く、広告ははんらん、自販機は62万台もある。まず禁煙の環境を整備することが求められます。医療でも、米国や英国と同様に医療保険でもカバーが必要です。

長瀬 COPDで受診する人の大半は息苦しさが出てきてから。あわてて禁煙する。しかし、肺は一度壊れたら元へ戻らない臓器で、結果的に肺が壊れてからの医療となってしまいます。私たちの外来ではすべての患者さんに禁煙を勧めますが、禁煙治療は保険でカバーされておらず、十分な対応ができていないのが現実です。

肺は一度壊れたら元に戻らない  子供への教育を徹底

司会 保健がきかないことはかなり大きな障害なのでしょうか。

長瀬 そうです。禁煙補助薬などは自前で買うことになります。

司会 禁煙を推進するには教育も重要ですが、禁煙教育の方法で日米の違いはあるのでしょうか。

ハート 特に違いはありません。ただ、日本でもすべての医療施設を禁煙にしてほしい。私どもの大学では1978年ごろに施設全体を禁煙にし、2年後には職員の喫煙率は17%から13%に減った。職場の禁煙は大きな効果があります。

大島 昨年施行の健康増進法25条(受動喫煙の防止)により、日本でも医療機関、学校、役所などでの禁煙が進むでしょう。たばこを吸うのが当たり前の社会から吸わないのが当たり前の社会へと変わりつつあります。

植松 職場では、1人では禁煙できにくいが、皆でやることがモチベーションになり進みやすくなる。誰が声を出すかも大事です。長期的には若い人たち、子供たちに喫煙を習慣付けさせないこと。いったん習慣が付くとやめるのは大変で、最初から喫煙習慣を付けないことが大切です。

司会 われわれメディアの役割も重要です。COPDのような疾患や肺がんも増えているのに、禁煙がなかなか浸透しないのはなぜでしょうか。

長瀬 がんについてはほぼ100%ご存じでしょうが、COPDはここ数年です。まず知ってもらうことが大切です。呼吸器学会では2年前に「禁煙宣言」を出して、たばこを吸う人は専門医になれないとしているのですが、実際にはまだ15%程度が喫煙者です。

ハート 米国でのテレビのたばこ広告が禁止された60年代以降、雑誌広告が増えて、雑誌はたばこのもたらす疾患についての記事を掲載しにくくなった。私どものクリニックではこういった雑誌をロビーに置きません。世界のすべての医療機関で同様にすべきです。皆の健康に留意して、たばこ広告を掲載しない雑誌をつくる。それは雑誌の宣伝にもなります。

司会 ニコチン依存症でない喫煙者もいるのでしょうか。

大島 基本的には依存か依存でないかではなく、程度の問題ですが、ある基準で判定すると日本の喫煙者の53.9%はニコチン依存症だと推定されます。依存度の低い人はガムやパッチを使わなくても禁煙できるが、依存度の高い人は禁断症状が出るので、禁煙補助薬や医療従事者による治療が必要です。

司会 喫煙が依存症で様々な病気の原因になるとすると、医療ととらえるべきですが、日本の医療制度では予防や医療カウンセリングは重視してないようですね。

植松 医師会としても予防給付は大切だと主張しているが、医療費財源が限られているため、なかなか予防にお金が回ってこないのが現実です。ただ、ニコチン依存症については病気として認めるかどうか、まだ議論の余地があります。

司会 たばこによる害は、国家全体では非常に大きいことは考慮されないのでしょうか。

植松 その点は医師会も一生懸命主張しているが、なかなか反映されません。今の医療政策が財政主導型であることが問題です。ニコチン依存症の治療にニコチンを使うのはいかがか、という議論もあります。

ハート ニコチンパッチやニコチンガムといったニコチン製剤については、米国でも当初は若干の懸念がありました。しかし、これらの医薬品を使用しても血液中のニコチン濃度の上昇はたばこに比べて非常に低く、依存症になることはありません。また、ニコチンを含まない禁煙治療薬も最近開発されています。
いずれにしても、日本のたばこは安過ぎる。タバコの産地ケンタッキーよりも安い。たばこ税を引き上げればたばこの害も減るし、医療費も助かります。日本ではたばこを安く入手した喫煙者がCOPDになるし、心疾患や肺がんにもなり、その治療のための医療費を皆で払うわけです。

大島 日本のたばこは世界的にみて最も安い。たばこ税を上げると、たばこをやめる人が増えてたばこ税の歳入総額が減ると財政は心配するが、ニコチン依存症のきつい人はなかなかやめられないから、倍に値上げしても喫煙者が半分になることはない。短期・中期的にはたばこ税の総額は増え、それを財源にニコチン依存症の治療費の原資にする選択肢が考えられます。

植松 日本医師会では、「たばこ税を医療費の原資に」という声をずっと上げているが、なかなか政治の場で取り上げられない。皆さんと一緒に声を上げていかなくてはならない問題でしょう。

長瀬 医療費の問題で言うと、COPDの医療費は非常に大きい。例えば米国では約2兆円で、ぜんそくや心不全より医療費がかかるといわれます。医療費を下げるには、結局は禁煙に投資した方が安いのです。

百害あって一利なし  自らだけでなく 周囲に優しい気持ちを

司会 喫煙問題はマナーではなく医学の問題だろうと想います。最後にお一言ずつ。
ハート 既に有効性の確認された禁煙治療法があります。これをぜひお使いいただきたい。私たちは患者さんと無言の契約をしています。あなたの死亡率、病気にかかる危険が減る治療をお届けする契約です。禁煙治療はその一部であるはずです。

大島 喫煙の結果、心筋梗塞で死ぬと死因は心筋梗塞とされますが、その原因はやはりたばこです。喫煙を治療する禁煙治療とは、実は高血圧や糖尿病、高脂血症の治療と同じ意義があると発想を転換すれば、治療か予防かという問題も解決します。

長瀬 呼吸器科科医の立場から言うと、喫煙は百害あって一利なしです。喫煙する若い人は医療機関でスパイロメトリー検査を受けてください。

植松 たばこを吸う人が自分たちのために禁煙するのではモチベーションが弱い。周囲に優しい気持ちをということをもう少し強く言うべきです。禁煙できた喜び、誇りを感じることがなければ、やめたときの苦しさは克服できません。

司会 禁煙とは大変難しく、個人の問題であると同時に社会全体、国の問題あるいは世界的な問題です。喫煙習慣は病気だと十分理解されれば医療制度についてもいろいろな効果が出てくるでしょう。どうもありがとうございました。

企画・製作
日本経済新聞広報局
協賛
ファイザー
日本経済新聞 2004.9.18