環境ホルモンがもたらす生殖機能への影響
――人類存亡の危機に何をすべきか


身の周りに化学物質を置かない!

リスク評価は重要かつ緊急の課題

人類は科学の進歩とともに膨大な数の化学物質をつくり出し、人類の歴史上、これまでに出くわしたことのない物質に暴露されることになった。特に医薬品や農薬、さらに日用品に含まれる数多くの化学物質は、製造、使用、廃棄等の過程で環境汚染物質として環境中に放出されている。
しかも、生物蓄積性の有機汚染物質による環境汚染の影響は、地球規模での広がりを見せている。
最近、これらの化学物質の中に、ホルモンと類似あるいはそのホルモンと拮抗する作用を示すのもがあり、これらの物質が内分泌障害を起こすことから、一括して内分泌撹乱化学物質(EDC:Endocrine Disrupting Chemicals)、あるいは環境ホルモンと呼ばれるようになった。
近年、この環境ホルモンは、野生動物における生殖異常やヒトにおける精子数減少、生殖器異常、悪性腫瘍の増加や継世代的障害の原因物質として報告されている。

環境ホルモンなどの人類へ影響

この環境ホルモン問題に関して書かれた『奪われし未来−Our Stolen Future』(シーアー・コルボーン外著、1996年)は、1997年秋に日本でも翻訳・出版され反響を呼んでいる。実際、この環境ホルモンによる生殖能力や次世代への影響は、人類を含めた数多くの生物の存続にかかわる問題であり、環境ホルモンのリスク評価は、重要かつ緊急に対処すべき課題である。
特にこの環境ホルモン問題のうちヒトに対する影響として注目されているのが、精子数減少を含めた男性不妊である。また、環境ホルモンによる精巣腫瘍、尿道下裂、精巣下降不全などの男性生殖器の発生異常の増加も報告され、これらによる男性不妊についても論議されている。


食物連鎖の中で次第に濃縮か
環境庁は1998年5月、今後の対応方針をまとめた「環境ホルモン戦略計画SPEED’98」を発表した。「SPEED」とは、「環境ホルモン戦略計画」の英語「Strategic Programs on Environmental Endocrine Disruptors」の頭文字をとったものである。
その中では、「動物の生体内に取り込まれた場合に、本来、その生体内で営まれている正常なホルモン作用に影響を与える外因性の物質」と環境ホルモンを説明している。
環境ホルモンは当初、「レセプターと結合して、ホルモン作用と同じ作用をしたり、作用をさまたげたりする化学物質」と考えられていた。しかし最近では、レセプターに結合しなくてもホルモン作用に影響を及ぼす化学物質(ダイオキシンなど)の存在も指摘されている。
環境ホルモンはこれまでに、約70種類が報告されている。代表的なものとしては、アルキル化フェノール、有機塩素系殺虫剤、PCBおよびダイオキシンなどがよく知られている。重金属、プラスチックに使われるフタル酸、ピスフェノールAなども含まれる。また、40種類以上が農薬の成分である。
今後の調査で、さらに増えることが予想される。
環境ホルモンの多くの物質は蓄積性があり、それらは生態系で生物濃縮する。「食物連鎖」の中で次第に濃縮していくのである。つまり、環境中に放出される濃度が薄くても問題がある。日本人は欧米人に比べ魚介類を好むが、特に貝類の濃縮の度合いが非常に高いことが明らかになっている。


タバコの煙にもダイオキシン!!

精子数が異常に減少

デンマークのニールス・スカッケベック博士の率いる研究チームが1992年に、ヒトの精子数減少に関する衝撃的な研究報告を発表して世界的注目を浴びた。20カ国の男性1万5千人を調査した結果、50年間に成人男性の精液中の平均精子数が、精液1ミリリットル中1億1千3百万から6千6百万に落ち、同時に精液量も25%減少していたというのである。そして原因として環境ホルモンの可能性を指摘した。
その後同様の結果が、フランス、スコットランド、ロンドンの研究者から相次いで報告された。特に1995年のフランス研究グループによる報告は、以前に子どもを作ったことのある男性を対象にして同じ施設で検討されたという点で、精子減少を報告する有力な論文として支持されている。この報告によると、1945年生まれの男性の30歳時における平均精子数は精液1ミリリットル中1億2百万であったが、1962年に生まれた男性の30歳時における平均精子数は同じく5千百万で、17年間に精子数がほぼ半減したとしている。この論文では、胎児期を含めた男子が環境ホルモンに暴露されたことによる可能性を示唆している。
ただ現在のところ、ヒトにおける精子数減少に関する研究が、この分野の専門家に認められていないのも事実である。前述のいくつかの報告について、引用している参考論文の精子数の測定方法が不適当であるなど不備が指摘されているからである。
しかし最近、再び、ヒト精液中の精子数減少と精子の質の低下に関する論文や、当初の報告を支持する論文が報告されてきている。また、精子数減少が認められないとしていたアメリカ合衆国から、疫学的検索によって、精子濃度が、アメリカ合衆国では1年ごとに1.5%減少しており、ヨーロッパ諸国では同じく3.1%減少しているというショッキングな報告がされている。この論文は、アメリカ合衆国における環境ホルモン研究の中心的存在である米国国立環境健康科学研究所(NIEHS/NIH)発刊のジャーナルに掲載され、社会的インパクトからも非常に興味深いところである。
日本ではどうなっているのだろうか?残念ながら日本では、精子数減少に関しての信頼のおける研究報告はなされていない。ただ、不妊外来にかかわっている泌尿器科や産婦人科医の印象として、精子数の減少傾向が見られるとする意見がさかんに聞かれるようにはなってきた。
最近の報告を中心に判断すると、ヒト精子数の減少が世界的に起こっている可能性は極めて高いと思われる。


環境ホルモンが原因とされる理由
ご存知のようにホルモンは、ごくわずかな量で作用する。血液中の濃度は、1ミリリットル中に10億分の1から1兆分の1グラムのレベルといわれている。
精子数減少の原因が環境ホルモンによるものだと考えられる1つの理由として、精子の形成には、精細管の外部の間質にある間細胞から分泌されるテストステロンも含めさまざまなホルモンがかかわっており、これらのホルモンの血中濃度や精巣内でのホルモンレセプターの量が変化すると、精子形成障害が起こるためである。
また動物実験で、妊娠中の胎児内のエストロゲン・レベルが高まると、精細管内で精子の産出を調整するセルトリ細胞の増殖が抑制され、成長後にオスが産出する精子数減少するというデータが報告されたことも理由として挙げられる。セルトリ細胞1つに付着する精子の数は限られているので、発育の早期にセルトリ細胞の増殖が抑制され、セルトリ細胞の総数が少なくなれば、成長後に産出される精子数も減少してくるとう仮説である。


次世代の影響明らか
環境ホルモンに含まれ、近年特に地球環境に廃棄・放出されて問題となっているダイオキシン類、PCB、DDTなどは、実験動物による毒性試験では、低用量で明らかに精子数の減少、精子形成障害を引き起こすことが報告されている。特に、現在最も社会的に注目を浴びているダイオキシン類は、実験動物で妊娠率の低下、流産、出生仔の体重低下、性周期の変調、精子数の減少などを引き起こす。また、妊娠動物がダイオキシン類の暴露を受けた場合に胎仔の発生を障害する催奇形作用が社会的な注目を集めている。
このように動物実験では、環境ホルモンが精子形成障害の結果として精子数を減少させることは確実であり、また、次世代に影響を及ぼすことも確かめられている。


ヒトに与える影響 まだ何も分かっていない
環境ホルモンのヒト精子および精子形成に与える影響としては、外因性ストロゲン様化学物質やダイオキシンに暴露された特殊なケースにおける報告が挙げられる。
外因性エストロゲン様化学物質の暴露ケースとしては、流産や妊娠合併症の予防のためにDiethylstilbestrol(DES)を服用した女性の出生児(男性)が、成人になった後の精子の状態を検討した報告があり、DESに胎児期暴露された成人男性では、精子数の減少や精子の質の低下が認められたとしている。
また、ダイオキシンに暴露された特殊なケースとして、ベトナムからの退役軍人をそれ以外の退役軍人と比較した結果、精子数の減少、運動率の低下や精子奇形率の増加が見られたという報告がある。ただ、この両方のケースにおいて否定的な報告も出されている。
一方で、ヒトの精液中の精子数の減少が起こっているとして、その理由が、生活スタイルの変化、特に飲酒や喫煙の習慣に加えて、性行動がここ半世紀の間に激変したためとして環境ホルモン説に反論する研究者もいる。ただ、フランスのグループの研究報告における精子数の減少が若年層で顕著であり、なおかつ誕生年数と反比例していることを考慮すると、精子数減少の原因が、汚染物質の暴露、アルコール、喫煙、性病などの後天的なものより、胎生期の発育環境に原因がある可能性が高いのである。
また、これまでは精子数の減少ばかりが問題になっていたが、精子の奇形率の増加や、運動率の低下が諸外国でも多く報告されている。さたに、精子を経由した次世代への影響についても問題となり得る。
胎児期の初期には、環境ホルモンが低濃度でも影響がある。人は受精後約280日で生まれるが、精巣は最初の2カ月間で形成されてしまう。妊娠の初期3カ月以内に母親が風疹などにかかると、子どもに白内障、難聴、心疾患などの障害が残る。同様にホルモン異常があると、生殖器などに異常が発生しやすい。
胎児期の次に影響を受けやすいのが、乳幼児期である。乳幼児は母乳で栄養をとる。そのため、母乳中の汚染物質は乳幼児に取り込まれてしまう。実証はされていないが、環境ホルモンに汚染された母乳によって、免疫に異常が生じるとしている研究者もいる。
従来の化学物質の毒性検査では、がんなどを起こすかどうかが問題だった。環境ホルモンは、種の存続に影響を及ぼす可能性のある環境汚染物質であり、次の世代の子どもたちに問題が出るという点を特に考える必要がある。

プラスチックや合成物質の使用を少なくする!

今のうちに何らかの対策を
環境ホルモンのヒトへの影響は、何も分かっていないというのが正式なコメントである。疑いがあるという段階である。しかし野性動物が、環境ホルモンによって生殖障害や発育障害を起こしており、ある種は絶滅の危機に瀕しているのも事実である。
ホルモン、ホルモン・レセプター、ホルモン作用は、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類で一致している。イタイイタイ病や水俣病など過去の公害で、最初に症状が現れたのは動物だった。
強調したいのは、「研究段階では明らかになっていないが、動物で起きていることがヒトで起きないとは、言いきれない」ということである。動物に現れた異常に対しては、今のうちに何らかの抑制をしたり予防法を考えておく必要がある。そうすれば、ヒトに影響が出ない段階で抑えられるし環境にもよいのではないだろうか。
明白でない点が多いということで放置しているうちに、人類の滅亡につながるような精子危機が現実に起こってしまったら取り返しがつかない。この環境ホルモン問題を、人類の存続にかかわる大問題としてとらえ、徹底した調査、研究、対策を進めるべき時期に来ていると言える。
科学者レベルで行うべきこととしては第一に、日本における環境ホルモン汚染度の現状をヒトや野生動物を含めた疫学調査で明らかにする必要がある。特にヒトでは、胎児における環境ホルモンの暴露状態を大至急調べる必要がある。
第二に、環境ホルモンのスクリーニングやモニタリング法の確立と作用メカニズムの解明、環境ホルモンによる生殖異常の予防法や治療法の研究の促進も重要である。
第三に、市民やマスコミへの啓蒙活動である。日本の環境ホルモン汚染の現状やヒトへの影響に関する研究報告については情報を公開していかなければならない。
この目的で、筆者は、この分野での最先端を走っている米国の国立環境健康科学研究所と環境保護庁(Us EPA)より研究者を招き、1998年3月に京都で「環境ホルモンの精子および次世代への影響に関するシンポジウム」を行い、この問題の重要性を認識してもらうことができた。
この問題に関してはさらに、国を挙げての対応策が望まれる。1998年に入り日本でも、筆者の研究グループを含めさまざまな研究グループが、環境ホルモンのヒトへの影響に関する研究・調査を始めている。本年12月には、京都において大規模な環境ホルモンの国際シンポジウムを計画中である。


正確な情報と提供を
環境ホルモン作用を調べる必要のある化学物質は、8万種類以上もあるといわれている。アメリカではばく大な資金を投入して、それらが環境ホルモンかどうかを2〜3年間で調べてしまうという計画が進んでいる。1998年8月に検査方法が発表だれ、調査が開始される。検査結果は、2000年8月までにはアメリカ議会に報告される予定である。
日本の国土は狭く、1億人以上が住んでいる。また日本では、住宅地の近くでごみが燃やされ、欧米に比べダイオキシンなどの規制もゆるい。現在の日本は汚染が進んだ状況下にあり、こうした状況はアジアの国も同様である。被害が多く出るのは日本やアジアになる可能性が高い。
環境ホルモン問題の場合、一般の生活に密着した製品が発生源になっている。つまり、私たちの生活習慣の問題でもある。生活を皆で変えて行くことが必至である。それを伝える教育も重要である。
環境ホルモン問題で、パニックになる必要は全くない。特に生殖能力については、成人が普通に生活していて問題が起こる段階とは考えていない。むしろこの問題を、自分の子孫のことを考え、それぞれの立場から環境問題を見つめ直すよい機会にすべきだと思う。
臨床医の方々も、環境ホルモンに関する正確な情報を把握するよう努力していただき、患者さんに的確な知識、アドバイスを提供していただければと願う。


「動物で起きていることがヒトで起きないとは、だれも言い切れない。今から研究、対策を」
著書  森 千里(もり ちさと)
■京都大学大学院医学研究科生体構造医学講座助教授
■環境庁「内分泌撹乱化学物質問題検討会」委員    


市民にも出来る環境ホルモン対策

環境ホルモンのメカニズムの解明や原因物質の特定はもう少し時間がかかる。今とりあえずできる身近な対策の提案。
  1. プラスチック容器に入った食べ物を電子レンジで温めない
  2. 油ものを高温で熱した場合の溶出基準はない。コンビニで気軽に弁当や総菜を温めてくれるが、ラップやプラスチック容器が高温で溶けてしまえば環境ホルモンを摂取する。
  3. 食器保存はガラスか陶器で
  4. 動物性脂肪を避ける
  5. 除草剤や殺虫剤などの農薬には環境ホルモン作用が疑われているものも多く、それを使って育てた餌を食べる家畜が体内に取り込んだ場合、脂肪に多く蓄積される。動物性脂肪を避ければ環境ホルモンの摂取はかなり減らせる。
  6. 野菜を良く洗う
  7. 化学物質の使用を全体的に減らす努力をする
  8. 環境への負荷が少ない商品を作っている企業を応援する
  9. ごみを減らす
  10. 科学を勉強する
  11. 環境保護活動に参加する


1998年8月5・15日 提供:全国保険医新聞