懐かしかった家庭の思い出、今は介護虐待しそう。


「昔は昔、今は今」 香山リカのココロの万華鏡

 前回の東京五輪の頃、高度成長時代のまっただ中に家庭を築いた人たちが、いまいっせいに“介護される年代”を迎えている。

 その多くは核家族、どんどん成長する社会で前向きに仕事に取り組み、自動車やピアノを買うなどして生活を豊かにしてきた。子どもの教育にもお金や手間がかけられるようになり「教育ママ」という言葉が生まれたのもその世代あたりからだ。

 そんな人たちも高齢期になればからだも弱くなれば、認知症になることもある。頭ではわかっているのだが、長い間「いつも元気なパパとママ」を見てきた子どもたちは、その事実がどうしても受け入れられない。認知症の母親の介護をする50代の娘が「このままでは“介護虐待”をしそうです」と相談に来たことがあった。

 「近所でも評判の教育ママだった母親が、いまでは季節もわからなくなってなんでも私にきいてくるのです。子ども時代は『自分で調べなさい』が口グセの母でした。それを思い出すと、いま幼児のように私に頼ってくる母親にどうしてもやさしくできません。つい声を荒らげてしまったり手が出そうになってしまうこともあって、自分でもおそろしい」

 介護がイヤなわけではない。ただ、あんなにしっかりしてスーパーマンのようだった親が昔とはさまがわりしてしまった姿を見ると、なんともいえず悲しくなる。それが次第に怒りにかわり、心ない暴言や暴力につながることがあるのだ。

 そういう人たちに私はいつも「その昔、念願のマイホームで頑張っていた両親や楽しかった家庭の思い出は消えたわけではない」と話す。それがあくまで両親のメインの姿で、いまはそのときとは別のステージで生きている。あのときはあのとき、今は今。「昔はなんでもできたのに」と比べるのもおかしいし「昔を思い出すと悲しくなるから」と記憶を封印する必要もない。

 目の前の介護が必要な親のことはさておいて、「家族で大阪万博に行ったわねえ。あのときはみんな生き生きしていて本当に楽しかった。ママも私も精いっぱいおしゃれしてたっけ」と心おきなく昔の楽しかった思い出に浸ったってよいのだ。「それなのに今は」と考えそうになったら、「昔は昔、今は今」というフレーズをおまじないのように唱えてみよう。そして介護の問題はひとりで背負わず、介護サービスをフル活用したり友人に頼ったり。とにかくシェアの精神が大切、ということもつけ加えておきたい。

2014年4月22日 提供:毎日新聞社