腸の難病、糞便治療を活用 豊富な菌、患者に注入
慶応大病院が臨床試験
下痢や腹痛などを繰り返し、薬で治らない腸の病気に悩む患者の腸に、健康な人の便を移す臨床試験を、慶応大病院が始めた。患者の腸内では免疫力を高める細菌などが適切に働いていないが、菌の宝庫である便を移植することで、症状が治まる可能性がある。
人間の腸内には数百種類、数百兆個の細菌がすんでおり、免疫や栄養素の分解などにかかわっている。しかし、大腸粘膜に潰瘍(かいよう)ができる潰瘍性大腸炎など腸の病気の患者では、細菌の種類も個数も少ない。
慶応大は3月下旬、臨床試験の1例目となる潰瘍性大腸炎の40代男性に親族の便を移す「便微生物移植」を行った。
方法は、便を生理食塩水と混ぜてフィルターで濾過(ろか)した液体を注射器に入れ、50〜300グラムほど内視鏡で大腸に注入する。提供者は配偶者か2親等以内の家族としている。
臨床試験は、潰瘍性大腸炎のほか、下痢を繰り返す過敏性腸症候群や難治性感染症、消化管に炎症が起きる腸管ベーチェット病の患者計45人が対象。潰瘍性大腸炎の患者は国内に約14万人、過敏性腸症候群は約1200万人との推計がある。
便移植は欧米で研究が進む。昨年、米医学誌に掲載された論文では、難治性感染症の患者約40人を従来の薬による治療と便移植とに分けて経過をみたところ、前者は20〜30%しか治らなかったのに対し、後者は94%に効果があった。
消化器内科の金井隆典教授は「便1グラムには乳酸菌飲料1本分の数百倍の細菌が含まれている。便の解析で病気と関連する菌がわかれば、新たな治療法につながる可能性がある」と話す。(岡崎明子)
引用:朝日新聞 2014年5月10日(土)
(科学の扉)体にすむ細菌 健康守る働き、分かってきた
私たちの体には、約1千兆個の細菌がすむという。どんな種類の細菌が、どう働いているのか。最近の研究で、その全体像がわかってきた。細菌の宝庫である「便」を病気の治療に用いる試みも始まった。
いわゆる善玉菌のビフィズス菌や、悪玉菌の大腸菌――。ヒトと共生する「常在菌」と呼ばれる微生物は数百種類ある。赤ちゃんはおなかの中にいるときは無菌状態だが、産道を通るときに菌にさらされ、生まれた瞬間から多くの菌と接する。
最も多くすむのが腸内で、顕微鏡で見ると細菌群が花畑のように見えることから「腸内フローラ(腸内細菌叢〈そう〉)」と呼ばれる。細菌たちは食物から栄養素を作るほか、感染症から身を守るなど、ヒトの健康や病気と大きく関係している。しかし、菌を1種類だけ取りだして増やすことは難しく、「細菌が果たす役割のメカニズムはよくわからなかった」と東京大の服部正平教授は話す。
それが、DNA配列を高速に解析する「次世代シーケンサー」の登場で大きく変わった。細菌を集団のまま、全遺伝情報(ゲノム)を解析する「メタゲノム解析」という方法が開発されたためだ。
服部さんの研究チームは2007年、健康な日本人13人の腸内の細菌を解析し、離乳前の赤ちゃんと大人とでは菌種の組み合わせが大きく異なること、家族内でも組み合わせは必ずしも似ていないことなどを明らかにした。08年には日本や欧米、中国などが参加する国際組織「ヒトマイクロバイオーム計画」が設立され、情報をデータベース化する取り組みが始まった。
■3タイプに分類
この取り組みで、腸内の細菌のどんなことがわかったのか。
その一つが、ヒトの腸内の細菌の組み合わせは血液型のように、大きく三つに分類できるという「エンテロタイプ」説だ。
日欧の研究チームは、腸内にすむ細菌のパターンをタイプ1〜3に分類した。順番に「ルミノコッカス属」「バクテロイデス属」「プレボテラ属」の細菌が多く含まれる。日本人やスウェーデン人は8割以上がタイプ1、米国人や中国人は多くがタイプ2、中南米の人はタイプ3に属する人が多いなどの傾向がわかったという。
欧州分子生物研究所のピア・ボーク博士は「なぜ3タイプに分かれるのかはわからない。ただ、タイプ別にかかりやすい病気に違いがあり、将来的にはタイプに基づき食生活などを変えることで、病気の予防につながるかもしれない」と説明する。
服部さんらは、日本人100人を対象に腸内にいる細菌の組み合わせを調べた。すると、個人差は大きいにもかかわらず、細菌全体が果たしている働きはほぼ変わらないことがわかった。服部さんは「腸内の細菌は数百種類に上るが、進化の過程で、遺伝子の働きにより取捨選択されたものだけが残っているのだろう」と推測する。
■治療活用へ研究
腸内細菌の知識が深まるなか、最も注目されているのが、病気との関係を解明する研究だ。
食生活や感染症などで腸内細菌の構成が乱れると、腸の病気やアレルギー、メタボリック症候群など、様々な病気につながることが指摘されている。
理化学研究所などのチームは昨年、免疫を抑制する細胞を活性化する17種類の腸内細菌を、世界で初めて特定した。この細菌をマウスの口から胃腸に注入すると、腸炎や下痢などを防げた。また、健康な人に比べ、炎症性腸疾患の患者の便には、これらの細菌が少なかった。
理研チームは、細菌が病気から体を守る仕組みもあきらかにした。マウスを使った実験で、特定のビフィズス菌が糖を分解するときに酢酸をつくり、この酢酸が大腸粘膜を保護してO157に感染しても死に至るような悪化を防いでいた。
理研統合生命医科学研究センター粘膜システム研究グループの大野博司ディレクターは「研究が進めば、健康な人、病気の人にそれぞれに特徴的な菌を特定することができるかもしれない」と話す。
健康な人の腸内細菌を病気の人に移せば、症状が改善するのではないか。こんな発想による治療法が、健康な人の便を病気の人に移植する「便微生物移植」だ。細菌の宝庫である便に生理食塩水を加えて混ぜ合わせ、濾過(ろか)した液体を肛門(こうもん)から病人の腸内に入れる。
昨年、偽膜性大腸炎患者の治療に「効果がある」という研究結果が医学誌に掲載された。従来の治療法より、はるかに高い効果が中間解析でわかり、研究が終了したほどだった。メタボや、不眠の患者らにも試みられている。どの細菌が有効かわかれば、薬の開発につながると期待される。(岡崎明子)
<マイクロバイオーム>
微生物の集団。ヒトの場合、口腔(こうくう)や鼻腔(びくう)、胃、腸、皮膚、膣(ちつ)など全身に約1000兆個の常在菌がすんでいるとされ、ヒトの細胞(約60兆個)の10倍以上にも上る。常在菌の種類や個数などは、すんでいる部位により異なる。
<遺伝子の解析>
シーケンサーと呼ばれる装置を使い、DNAを断片にして、多数を同時に読み取り、つなぎ合わせて全体を解読する。ヒトにはDNAを構成する塩基対が約30億個あり、全遺伝情報が初めてわかった2003年当時は解読に13年かかったが、最近の機種は1日でできる。
<便微生物移植>
糞便移植ともいう。欧米ではここ10年ほど、研究が進んでいる。欧州では規制はないが、米国では食品医薬品局が「便移植は未承認の新薬と同じ」として、臨床試験として実施するよう求めている。
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引用:朝日新聞 2014年5月12日(月)