香山リカのココロの万華鏡

カゼが流行(はや)っている。知人の医者も「診察室に来る患者さんもみんなカゼひいてるから、次々にうつっちゃうんだよねえ」と、咳(せ)き込んでいた。

私は「そうなんですか、お大事に」と言いながら、ちょっとしたショックを受けていた。なぜなら、研修医のころに先輩から「精神科医は絶対にカゼひかないよ。毎年、たくさんの種類のカゼの人に会い、ウィルスが適度に体に入って免疫ができるから、どんなカゼが来ても平気になるんだ」と言われて「なるほど」と深く納得したからだ。

そして、実際に私はそれからほとんどカゼをひかなくなり「やっぱりあの言葉は本当だったんだ」と確信を強めていたのだ。ほかの人に「カヤマさんはカゼひかないね」と言われるたびに、「はい、私たち精神科医は毎年……」と先輩に言われた言葉を繰り返した。

しかし、よく考えてみると、「適度のウィルスで免疫ができる」などというのは、あまり医学的ではないような気がする。もしそうなら、満員電車で通勤するビジネスマンもカゼには強くなりそうだが、テレビのカゼ薬のCMに出てくるのは、多くが「カゼでも休めないビジネスマン」だ。調べてみると、カゼの原因となるウィルスの種類は膨大にあるので、そう簡単に「すべてのカゼに対応可能な免疫」など作ることはできないそうだ。

それがわかった瞬間、なんだか喉(のど)が痛くなってきた。鼻もムズムズする。看護師さんに「先生、カゼですか?うつさないでね」と言われた。これまで何年もほとんどカゼをひいたことのなかった私が「精神科医もカゼをひくんだ」とわかった瞬間にこのありさまなのだから、情けない。

それにしても、若いときに先輩から告げられた暗示が、こんなに長いあいだ効力を発揮していたというのもけっこうすごい。「病は気から」の逆のパターンといえる。

鼻をグスグスいわせながら、中島らもさんのインタビューを読んでいたら、今度は「精神科医はみな心の病だ」というフレーズが出てきた。うつ病の体験があるらもさんがかかった医者たちはそれぞれ心の病を抱えており、中には患者のらもさんから見ても正常とは思えない人もいたそうだ。「これまで精神科医はいろいろな病の人に出会って自分を見直すから心の病にはなりにくいと思っていたのに……」とまた不安がわいてきた。「このまま私もうつ病になるのか」と思ったが、その晩もぐっすり眠れ、翌日は寝坊までしてしまった。らもさんの暗示にはまだかかっていないようだ


2007.12.4 記事参考 毎日新聞社