日本は沈没?それとも、経済はもっと拡大しているの? ------------------------------------------------------------------------ 高齢化で46年後は1京円超…国と地方の借金 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政制度分科会は28日、財政の長期推計をまとめた。 高齢化で社会保障費が増えるため、このままのペースだと、2060年度には、国と地方を合わせた借金(債務残高)は、国内総生産(GDP)の約5・6倍となる1京1422兆円(京は1兆の1万倍)という天文学的な数字に膨らむと警告している。 政府が6月にまとめる「経済財政運営の基本方針(骨太の方針)」に反映させる。推計は、政府の目標通り、名目GDPが毎年3%、物価の変動を除いた実質GDPが2%ずつ成長し続けることを前提とした。増税や歳出カットなどの収支改善を実行しなければ、借金は20年度にGDPの2・5倍(約1550兆円)になり、その後も急増していく、としている。
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2014年4月26日 提供:朝日新聞 |
認知症、不明届け出延べ9600人 2012年、死者は359人 認知症が原因で徘徊(はいかい)し、家族らが行方不明者として警察に届け出た人の数が、2012年に全国で延べ9607人に上ったことがわかった。9376人は同年中に居場所がわかり、大半は無事だったが、13年末時点で約180人が行方不明のままだ。25日の衆院厚生労働委員会で、警察庁が長妻昭議員(民主)の質問に明らかにした。 12年に解決したケース(11年以前の届け出も含む)は9478人で、警察が保護したのは5524人。自力で帰宅するなど、家族が無事を確認したのは3230人だった。ただ、所在を確認できた時にはすでに亡くなっていた人も359人いた。届け出から発見までの期間は、「届け出当日」が最も多く6263人で、「2〜7日目」が2979人だった。 一方、厚生労働省も認知症の行方不明者の実態を調べ、対策を検討する方針だ。 徘徊をめぐっては、事故が起きた場合の責任も問題になっている。24日には、愛知県の認知症の男性(当時91)が列車にはねられ死亡した事故で、妻に損害賠償を命じる判決も出た。 (畑山敦子)
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2014年4月26日 提供:朝日新聞 |
東日本震災に学ぶ、日本のエネルギー? 東日本大震災 - 世界の報道 1 震災後なぜ日本人は冷静なのか フランス 中国人から見た東日本大震災 ビックリ日本:震災時の冷静な行動 東日本大地震 世界各国の反応 日本に学ぶ10のこと 8分半で自虐史観の洗脳が解ける魔法の動画 日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】 とてつもない日本 なぜ台湾人は、こんなに熱く日本人を支援してくれるのかしら? 外国人が驚く「おもてなし」 【重要証言】「日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」【ザ・ファクト】 日本に潜む朝鮮人企業一覧
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提供:youtube |
帰化議員リスト?日本と韓国の将来は?仲良くできるかな? へえ〜こんなに帰化議員は日本に居たんだね。 ミックス - こんなにいた?【在日】韓国・朝鮮人の有名人 有名人の嫌韓発言集 なぜ?韓国と日本は仲が悪いの? ロシア人が激白!「朝鮮人とは関わりあうな」 「日本から出て行け!マツコがK-POPに怒りの批判」を観て マツコデラックス「韓国人タレントに日本が嫌だったら出てけ!」
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提供:youtube |
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2014年3月4日 提供:youtube |
この国で、所在が不明の人がこんなにいる。拉致、監禁、殺人、行き倒れ、かなりの数の事件性が隠れている。暴力団がらみ、遺産相続がらみ、年金がらみ、資産や、年金手帳から、自分の存在を明らかにするすべを奪われた人々、認知症と言うだけで、薬漬けでも、外観からはわからない。 そのすじがバックで経営する老人ホームや、デイケア、介護所など、隠れみのになった、制度の悪用は、ますます巧妙になっていく。 国は、納税もしかり、年金や生活保護、身障者などの認定なども含め、一元化してしっかり把握し、一人一人の安全保障を確立すべきか? 悪の組織犯罪に、どうやって対抗する? ------------------------------------------------------------------------ 認知症不明者は約1万人 警察庁、12年 警察庁は25日、認知症が原因で行方不明になったとの届け出が2012年に9607人分あったと明らかにした。231人は12年中に発見できず、13年に入ってから53人見つかったとしている。 衆院厚生労働委員会で、民主党の長妻昭氏の質問に答えた。 長妻氏が警察庁から提供された資料によると、受理件数が最も多いのは大阪府警で2076人。兵庫県警(1146人)、愛知県警(735人)と続いた。 12年中に所在が確認できた人は、12年より前に行方不明になっていた人も含めると9478人。帰宅したり、発見されたりしたのは8754人で、死亡者は359人だった。 田村憲久厚生労働相はこの日の記者会見で、徘徊(はいかい)症状がある認知症高齢者が列車にはねられ死亡した事故で、家族の監督責任を認めた名古屋高裁判決について「今回のような事故が起こり得ること自体が大きな課題。どう防ぐかを念頭に置き、政策をつくりたい」と述べた。
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2014年4月25日 提供:共同通信社 |
自殺にしても、事故にしても、山での遭難にしても、後始末はその家族に賠償命令が行くのです。数百万から1千万越え? ------------------------------------------------------------------------ 徘徊事故、妻に賠償命令 JRに認知症の夫はねられ 支払い減額 2007年12月、愛知県大府市で徘徊(はいかい)症状がある認知症の91歳男性がJR東海の電車にはねられ死亡した事故をめぐり、同社が遺族に振り替え輸送代など損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁は24日、「見守りを怠った」などとして男性の妻(91)と長男(63)に賠償を命じた一審名古屋地裁判決を変更、妻だけの責任を認定し359万円の支払いを命じた。 昨年8月の一審判決はJR側の請求通り720万円の支払いを命じたが、「JR側の駅利用客への監視が十分で、ホームのフェンス扉が施錠されていれば事故を防げたと推認される事情もある」などとして減額した。 介護関係者らからは、一審判決に「認知症高齢者の閉じ込めにつながる」などの批判が続出。高齢化社会が進む中、妻の責任だけに変更したとはいえ家族に賠償を命じた高裁の判決も、認知症患者が起こした事故の責任の在り方をめぐり議論を呼びそうだ。 判決によると、認知症で「要介護4」の認定を受けていた男性は07年12月7日、JR共和駅構内で電車にはねられ死亡。同居していた当時85歳の妻と、近くに住む長男の嫁が目を離した間に外出していた。 長門栄吉(ながと・えいきち)裁判長は判決理由で、妻を「男性の監督義務者の地位にあり行動把握の必要があった」と認定。「男性が通常通っていた事務所出入り口のセンサーを作動させる措置をとらず、監督不十分な点があった」とした。 その上で「男性が線路に入り込むことまで(妻が)具体的に予見するのは困難」と指摘。一審判決で、責任があるとされた長男には「扶養義務は経済的なものが中心だった。20年以上も別居しており、監督者にあたらない」として賠償を命じなかった。 一方、JR側の安全確保義務違反は「線路立ち入りを阻止できなかったことは過失とは言えず、駅の人員配置や設備にも安全性に欠ける点はなかった」と否定した。 判決を受け、遺族側代理人は「高齢ながら、できる限りの介護をしていた妻に責任があるとされたのは残念。上告については今後検討する」とした。JR側は「判決内容を詳細に検討して今後の対処法を決定したい」とのコメントを発表した。
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2014年4月25日 提供:共同通信社 |
今年もまた中国の混沌に驚かされて… NYから一旦帰国しての翌日出発という、まったく良くやるね…なスケジュールにて北京モーターショーにも行ってきました。お目当てはレクサスNXだったのですが、せっかくしっかり取材したので、それはcarview!に別途書くとして、軽く雑感。 北京は毎度毎度、プレス申請の手続きは大変、それを現場で受け取るのも大変、そもそも会場まで辿り着くのが大変というショーでして、今年も皆、結構喰らっていたようです。特に大変だったのは、朝の酷い渋滞。普段は対面通行の道を一方通行にするなど、それなりには努力しているようなのですが、そこが全部詰まってしまってまったく身動きが取れなくなります。 もちろん、クラクションの嵐。歩道を突っ走り始めるクルマあり、また諦めて途中で降りて歩きはじめる人あり。というか私もそうしましたけどね。でも驚いたのは、そうやって途中で人を下ろしたタクシーが、その一方通行の中でやおらUターンを始めるわけですよ!キコキコ何度も切り返しして。 ああいう政治体制の国ですから、クルマの流れも人の流れも、もっとビシッと統制が取れないものなのかと一瞬思ってしまいましたが、きっとそうだったらそうだったで薄気味悪いから、まあいいか。政治的にはともかく、人々は想像以上に自由なんですよね。言いたいこと言えるしね、それこそ政治に対しても。 短時間にイタリア、NY、北京と移動して、そういう時でも大人しく忍耐強く並び、そして列を乱さずスムーズに色々進む日本の方が、逆にヘンな国かもね…なんて思った次第です。ゴールデンウィーク近し。きっと渋滞もするでしょうが皆さん、ここはまさに列を乱さずスムーズに、安全第一で行きましょう!
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2014年4月25日 提供:YASUHISA SHIMASHITA |
生活保護から抜け出すには? ------------------------------------------------------------------------ ありのままの姿知って 生活保護の若者ら 生活保護の家庭で育った若者らがありのままの姿を知ってもらおうと、顔写真や実名を載せた情報誌が注目されている。生活保護受給者の体験談を冊子にまとめた自治体もある。いずれも「負の印象をなくしたい」との思いが込められている。 表紙には笑顔の若者の写真。全ページカラー印刷で暗さは感じさせない。昨年9月に創刊された季刊誌「はるまち」は、生活保護を正面から取り上げた珍しい雑誌だ。 安くて栄養のある料理のレシピ、携帯電話料金の節約方法、家計簿の付け方といった生活に役立つ情報を掲載。目玉は生活保護で育った人へのインタビューで、創刊号では北海道釧路市の大河原航(おおかわら・わたる)さんと上出慎吾(かみいで・しんご)さん=いずれも(21)=が家庭環境や学生時代の生活、就職するまでを率直に語っている。 3月に出た第3号には、社会保障や地方分権の大家として知られ政府の審議会会長などを歴任した東大名誉教授の大森弥(おおもり・わたる)さん(74)が登場。「母子5人で暮らし、普通高校に行けなかったので高校は夜学。バイクの無免許運転で警察のお世話になった」と打ち明けており、霞が関や学者の間で話題になっている。 創刊の仕掛け人は、2008年末に開設された「年越し派遣村」で村長を務め、4月から法政大教授に就任した社会活動家の湯浅誠(ゆあさ・まこと)さん(44)。「不正受給ばかりが報じられ、生活保護で暮らす大多数の人たちの顔が見えてこない。顔を見せることで信頼の基礎を築きたい」と狙いを話す。 編集部は湯浅さんのほか、生活保護を受けたことのある若者や支援者ら約20人。発行は各号5千部で定価200円。10号まで出す予定だ。取扱店は当初は都内十数カ所だったが、現在は関西など約30カ所に増えた。 編集部の一人で、生活保護の母子家庭で育った小林(こばやし)さよさん(23)は「親の状況などによって生活保護を受けることは誰にでもあり得る。恥ずかしくない普通のことになってほしい」と訴える。 川崎市は、同じ問題意識から受給者の生の声を発信している。就労して生活保護を抜け出した5人の体験談集を昨年3月に作成、福祉事務所などで配った。仮名だが「生活保護は私をよみがえらせてくれた」などの声は世間の印象とは異なる。 「彼らが自立に至るまでの話には、多くの人の心に届くドラマがある。それを知っている者として、外に知らせる責任があると考えた」と市の担当者。今年3月には、仕事に就いた「先輩たち」からの助言を集めた別の冊子も発行し、就労支援に役立てている。 ※生活保護の現状
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2014年4月22日 提供:共同通信社 |
「昔は昔、今は今」 香山リカのココロの万華鏡 前回の東京五輪の頃、高度成長時代のまっただ中に家庭を築いた人たちが、いまいっせいに“介護される年代”を迎えている。 その多くは核家族、どんどん成長する社会で前向きに仕事に取り組み、自動車やピアノを買うなどして生活を豊かにしてきた。子どもの教育にもお金や手間がかけられるようになり「教育ママ」という言葉が生まれたのもその世代あたりからだ。 そんな人たちも高齢期になればからだも弱くなれば、認知症になることもある。頭ではわかっているのだが、長い間「いつも元気なパパとママ」を見てきた子どもたちは、その事実がどうしても受け入れられない。認知症の母親の介護をする50代の娘が「このままでは“介護虐待”をしそうです」と相談に来たことがあった。 「近所でも評判の教育ママだった母親が、いまでは季節もわからなくなってなんでも私にきいてくるのです。子ども時代は『自分で調べなさい』が口グセの母でした。それを思い出すと、いま幼児のように私に頼ってくる母親にどうしてもやさしくできません。つい声を荒らげてしまったり手が出そうになってしまうこともあって、自分でもおそろしい」 介護がイヤなわけではない。ただ、あんなにしっかりしてスーパーマンのようだった親が昔とはさまがわりしてしまった姿を見ると、なんともいえず悲しくなる。それが次第に怒りにかわり、心ない暴言や暴力につながることがあるのだ。 そういう人たちに私はいつも「その昔、念願のマイホームで頑張っていた両親や楽しかった家庭の思い出は消えたわけではない」と話す。それがあくまで両親のメインの姿で、いまはそのときとは別のステージで生きている。あのときはあのとき、今は今。「昔はなんでもできたのに」と比べるのもおかしいし「昔を思い出すと悲しくなるから」と記憶を封印する必要もない。 目の前の介護が必要な親のことはさておいて、「家族で大阪万博に行ったわねえ。あのときはみんな生き生きしていて本当に楽しかった。ママも私も精いっぱいおしゃれしてたっけ」と心おきなく昔の楽しかった思い出に浸ったってよいのだ。「それなのに今は」と考えそうになったら、「昔は昔、今は今」というフレーズをおまじないのように唱えてみよう。そして介護の問題はひとりで背負わず、介護サービスをフル活用したり友人に頼ったり。とにかくシェアの精神が大切、ということもつけ加えておきたい。
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2014年4月22日 提供:毎日新聞社 |