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最新の社会情勢レポート!!

香山リカ インタビュー

1 うつ病患者、10年で2・4倍に増加

 うつ病の患者が増えています。「うつ」とどう付き合えばよいか、精神科医の香山リカさんに聞きました。(聞き手=医療情報部・田中秀一)



--厚生労働省の統計で、うつ病患者が100万人を超えました。そんなにうつ病は増えているのですか。

  香山 実際には100万人より多いと思います。100万人なら人口の1%弱ですね。従来、有病率は1%と言われていて、WHO(世界保健機関)の統計では、生涯に一度でも発病する割合は十数%とか、7人に1人とか言われています。うつ病は個人的な側面の強い病気なので大規模調査がなく、実態が分かりにくかったのですが、精神科医の実感としては、うつとして治療している人はもっと多いのではないかと思います。

  厚生労働省の患者統計で注目すべきなのは、100万人を超えたことより、この10年で2・4倍に増えたことだと思います。その解釈は難しくて、いろいろな要素が複合的にあります。一つは病院の敷居が低くなって受診しやすくなったことです。昔はじっと我慢していた人が受診しやすくなって、私たち精神科医は患者を診る機会が増えた。
  それと、精神科医が患者をうつと診断する機会が増えた。1980年代から使われている、アメリカの精神医学会がつくったDSMという診断基準で、マニュアル的な診断ができ、チェックリストのようなものがあります。その診断基準では、うつの原因は問われず、どういう症状があるか、行動の変化はどうかを主に診る。失恋やリストラが原因で気持ちが落ち込んでいる場合でも、原因が見当たらない場合でも、うつとして扱う。これを使うと、うつ病という診断がつけやすいのです。

  読売新聞の記事にもありましたが、新しい抗うつ薬が登場した影響もあります。製薬会社が啓発・広報に力を入れて、「うつに気づいたらすぐ病院へ」というキャンペーンをして、成果として患者の掘り起こしが行われました。そこには、これまでの精神医学的判断では、治療まで必要なのだろうかという人も含まれています。
  そして、これも功罪あることですが、最近の抗うつ薬は副作用がなくて安全になりました。昔は副作用が強くて処方は慎重になったけれど、いまは副作用が少なくて効く範囲も広いので、出しやすくなった。不安が強い、強迫的で何度も同じことを確かめる確認癖が強い、パニック障害があるといった場合に効果があります。厳密に診断をつけなくても、うつっぽければ新しい抗うつ薬を処方してしまっているという現状はあります。
  「私、何の病気ですか」と聞かれた時に、「まあ広く言えばうつ病ですね」と言って抗うつ薬を出す傾向があります。うつ病でなくても、薬はある程度効果があるので、厳密に診断をつける必要がなくなってきたのです。

--一般用に作られたチェックリストには「いつもより早く目が覚める」「朝起きた時、陰気な気分がする」「決断がなかなかつかない」といった項目が並んでいるものがあります。こうした項目にチェックしていくと、僕も「軽症うつ」と判定されてしまいます。こういったものを使うと、多くの人がうつ病になるように思いますが、そのように診断が行われているのでしょうか。

香山 本人の訴えのほかに、生活の様子を聞いて、前にできていたことができなくなったなどを重要視して診断します。なるべく本人の主観的な訴えだけでなく、「仕事がおっくうだ」と言った時に、欠勤がどれくらいあるか、仕事上のパフォーマンスがどれだけ下がっているかなど、なるべく客観的に評価しようという姿勢は持っているので、チェックリストだけに頼らずに診断しようとしています。

2010.4.29 記事提供:読売新聞 




2 「うつの時代」をどう生きる

 --作家の五木寛之さんとの共著「鬱の力」を興味深く拝読しました。その中で「現代は、うつの時代。うつ気分が広がっている」と書かれています。どういうことですか。

  香山 ある社会の成熟や進歩の過程で、右肩上がりの経済成長や人口増加の時代が躁状態だとすれば、それが行き着いた先に、落ち着いた社会、あるいは成熟を深める時代になる。それが「うつの時代」です。人口減社会とか、経済停滞の暗い時代というより、社会の必然的な成熟の果て、あるいは国も年をとるといったことの反映と言えるかもしれません。

  --成長が行き着いて「成熟の時代になった」という見方ができればいいですが、なかなかそういう考え方はされません。

  香山 国家の繁栄は使命だとして、鳩山さん(首相)でさえ成長戦略を打ち出しています。そこで「もう成長は結構です」とか、「中国にGDP(国内総生産)で抜かれてもいい」とか言えない。国の運営として、経済が順調であることを手放せない。経済成長という命題がある限り、「うつは落ち着いている」「深みがある」ということを受け入れることができないのではないでしょうか。

  --経済成長にしがみついているわけですか?

  香山 私も「もう成長なんかいらないのでは」と口にしていたことがありましたが、経済の専門家に話を聞くと、「経済成長を手放したら国家としてもうおしまい。縮小という方向を目指すことは出来ない」という意見でした。貧困問題の専門家も、「経済は成長が宿命」と言っている。成長はいらないという単純なものではないらしい。国家としての繁栄という命題を手放すとすれば、用意周到に、それに変わる何かを打ち出さないといけない。ただ「成長をやめる」というわけにはいかないようです。

  --南欧のギリシャ、スペイン、イタリアなどで、経済の停滞や財政危機が問題になっています。しかし、その国の人たちが不幸とは限りません。

  香山 確かにそうですね。その人たちは「沈滞のプロ」というわけでもないですが、繁栄していたのははるか昔で、日本などに経済的に追い抜かれた経験があるわけです。それをどう受け入れて、経済的にアジアの国に抜かれていくことをどう受け止めていたのか、興味があります。

  --日本は中国に抜かれることを非常に気にします。南欧の人たちは気にしなかったのでしょうか。

  香山 心理的に気にしないで済んでいたのか、もう少し違う政策的な何かがあったのか。それが分からないのですが。

  --調べたら面白いかもしれませんね。

  香山 そう思います。単純に気にしなくていいとか、「成熟の証」と、どんと構えて済むことなのか、国が成長路線を手放すと壊滅的なことがいろいろな分野で起きるのか、そこは私もよく分かりません。「壊滅的なことになる」という経済学者もいます。心構えの問題だけではないと感じますね。

2010.5.1 記事提供:読売新聞 




3 成果主義が「うつ」をつくる

 --香山さんは「少しでも非効率的なものを切り捨てる風潮にあって、自浄作用としてうつ病が起きている」と書いています。これはどういうことですか。

  香山 企業でも、うつ病が増えています。それは診断基準が変わったといった理由だけではなく、明らかに労働環境の変化が大きな引き金になっていると感じます。成果主義の導入や、効率の追及によって、成果が1年から半年、さらに半年から3か月というように、短期に評価されるようになり、社員同士が競争相手、ライバルになっています。

  私が診療にかかわっている企業でも、「社員同士でもパソコン画面を見られたくない」といいます。見られると私が何しているかわかってしまう、アイデアを盗まれることもある、という理由からで、同僚とは言え、仕事を分かち合うとか助け合うという雰囲気ではない。コミュニケーションも減っているし、雑談や無駄話もできない、フレックスタイムなのでランチも一緒に行けない。職場で孤立している人が多い。
  ちょっとつまずいた時に、上司に相談するといっても、仕事がチーム制になっていて、プロジェクトごとに上司が違う。個人情報の問題があって、プライベートな話もしないので、相手に家庭があるのか、子供がいるのか分からない。

  --そういう会社がありますか。

  香山 IT系とかではあります。うつになった部下の相談に乗ろうにも、その部下に家族がいるのかどうかも分からない。組織が、人間にとって無理な状態になっています。本人のストレスに対する耐性もあるのかもしれないけれど、それだけでなく、そういう中で悲鳴を上げている人もいます。

  --成果主義、効率追求は、働く人たちにとって幸せなシステムではないですか?

  香山 企業も見直しを進めています。一時的に成果が上がったように見えても、うつで社員が休めば、損失が非常に大きくなってしまう。損失が大きいから成果主義をやめるというのも変ですが、成果主義をやめるところも出てきています。

  --「うつ病と、うつ気分を分けて考えるべきだ」とも書かれていますが、どのように違いますか。

  香山 病気(うつ病)というからには、ただ気持ちが落ち込むだけでなく、かなりエネルギーが大きく低下して、今まで出来ていたことができなくなったとか、興味があったものに関心が全く動かないとか、明らかに前と違う状態が、何週間か続いた状態です。ちょっとしたことで気が晴れたり、楽しいことが起きて和んだりもしない、その程度のことでは変わらないというくらい強いエネルギーの低下が続きます。何が原因か分からないけれど、自分の中で何かが変わってしまった、という実感がある状況です。

  --患者は自覚しているのですか。

  香山 うつ病の患者には、前はこんなじゃなかったという感覚はあると思います。このことが原因で気持ちが少し落ち込んだとか、これがあれば気持ちが晴れるとかではない。例えば失恋が原因で、彼氏が戻ってくれば回復するなら、うつ気分だといえます。そうではなく、彼氏が戻ってきて「ごめん、冗談だったよ」と言っても回復しない、それどころじゃないというくらい、決定的な変化があると思います。

  --それでは、うつ気分とはどういう状態ですか。

  香山 自分を晴れやかにしてくれるものがないので、気分がパッとしない、という感じです。テレビを見て楽しい気分になれる、友達が誘ってくれると気が晴れる、といった場合です。これに対して、うつ病は一時的にでも気が晴れるということがまずない。前は楽しかったことが楽しみではなくなります。

  --うつ気分なのに、「うつ病と診断してほしい」とか、「治してほしい」という人もいるそうですね。

  香山 そういう場合は厳しく言います。つらい気持ちであることに共感は示しますが、「うつ病ではなく一時的な反応だと思いますよ」というふうに説明して、すぐには「うつ病です」とは言わない。それでも本人は死にたいくらい辛いという人もいて、自分を責める人もいます。うつ病のせいだと思えば気が楽になることもありますが、うつ気分の人にはなるべく「うつ病です」とは言わないようにしています

  --うつではないと言われて安心する人が多いですか、それとも納得できないという人が多いですか。

  香山 安心する人もいます。しかし、納得できないという人も増えています。

2010.5.2 記事提供:読売新聞 




4 強すぎる前向き思考

 --「うつは治さないといけない」という気持ちが強すぎる人が多いそうですね。

  香山 一瞬でもネガティブな時間や、怠けている時間があってはいけないという完璧主義的な前向き思考が強いように思います。「うつの時代だから」と受け入れてしまったら負けなんだと考え、効率的な成長主義、スキルアップを目指す気分が強い。

  --努力すれば報われるというカツマー現象のような気分ですか?

  香山 ある意味でそうですね。うつの時代の最後の抵抗のように見えます。一心不乱に成果や効率を追求している人は、うつの日があるとか、やる気がない日もあるさと認めてしまった瞬間から、だめになってしまう、負けてしまうんじゃないかという追い詰められた感覚を持っている。社会や国が陥っている現象の象徴のような気がします。

  --うつの時代の最後の抵抗とは興味深い指摘ですね。その先に何があるのですか。

  香山 「うつの時代」だと受け入れるのは大変です。どんな時代でも、自分は自分とか、諦観とか、うつの時代でも自分は自分でやっていけるという安定感がないと受け入れられない。自分に自信がないと、成長をあきらめた途端に濁流に呑み込まれて藻くずのようになってしまうという不安が強くなり、「うつの時代です」なんて言っていられない。その中でも自分だけでは浮き上がろうともがいてしまう。

  南欧の人たちのことはよく知りませんが、繁栄を手放してもやっていけるという拠り所のような何かがあると思う。それはキリスト教かもしれないし、文化遺産かもしれない。イタリアなら、経済的には一番じゃなくても、センスがいいとか、ワインがおいいしいとか、何かについての誇りかもしれない。

  それに対して、日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」であることや、アメリカに次ぐ経済大国であることが、みんなのアイデンティティーの大きな部分を占めている。経済大国というアイデンティティーを手放した時の「よすが」がないんじゃないですか

  --高度成長が再びやってくることはないわけですから、考え方を変えるしかないのではないですか。

  香山 そう思います。アメリカでさえ覇権主義を手放すしかない状況になっています。米軍基地の問題でアメリカと対等に話し合わないといけないというように、対等であることも日本のアイデンティティーになっていますが、アメリカ人からみれば日本とは対等ではない。

  たとえば、日本の放送局はアメリカに何十人も駐在させているけれど、アメリカの放送局は日本から次々に撤退していて、東京駐在は1人体制のところもあります。ニューズウイークも日本から中国に人員を移していますね。対等とはアメリカ人は思っていない。基地の問題も、日本で言われているほどアメリカでは大きな問題ではないらしい。日本には「対等」ということへの幻想があるように思います。

  --国家として成長という目標を掲げることはいいとして、日本中の人たちがすみずみまでその価値観に引きずられることはないのではないですか。

  香山 まさにそうです。でも、ここ15年くらいの間に、成果主義とか市場原理主義のような企業内論理が、生活の津々浦々まで浸透してしまったのではないでしょうか。

2010.5.3 記事提供:読売新聞 




5 現代人の心は弱くなっている?

 --うつ病が増えている理由の一つに、香山さんは「現代人が弱くなっている」ことをあげています。「心の免疫力や耐性が落ちているのではないか」とも言っています。現代人は弱くなっていますか?

  香山 若い人は不況の中で、考え方が変わってきていると思いますが、少し前までは、少子化の中で、自分を愛するとか、自分らしく生きることが大切といった、自己実現幻想みたいなものを教えられてきました。

  「誰でも自分らしさを実現しなきゃいけない」といった、自己愛的な幻想を持っている若い人は増えた。社会に出たら、思い通りにならないことや、自分の意思と違っても組織の一員として働かなくてはいけない、という場面はいくらでもありますが、その時にどう折り合いをつければいいかわからない。そこで「こんなものだよね」と軌道修正すればいいですが、それができない。そこでパニックに陥ってしまう。現実と折り合いを付けられないんです。

  夢は夢であっていいのだけれど、世の中で自分にしかできないことがある、というような際限のない自己愛がある。子供のうちはそれでいいけれど、成長とともに「これは実現できる」「これは無理」と、自己愛と現実とのずれを少しずつ修正していくことが必要なのに、うまくできない。現実と妥協しろといっているわけではないんですが。

  --軌道修正できるようにする考え方のコツはありますか。

  香山 現実との折り合いや軌道修正が難しいのは、仕方ない面もあると思います。いまの若い人は挫折を知らない、もまれていないといわれますが、一方で新自由主義的な、市場主義的な社会では、ちょっとでもつまずいたり、あきらめたりしたらおしまいという、切羽詰まった生き方を強いられている。いつも前向き、いつも成長していないといけないという生き方を強いられるので、折り合いをつけろとか、立ち直れと言っても無理だと思う。

  (反貧困ネットワーク事務局長の)湯浅誠さんが(セーフティーネットがなく、失業などで一度転落したら、どこまでも転落する)「滑り台社会」と言っていますが、そういう社会構造があって、一方で若い人に「どんどん傷つけ」とか「挫折してもいい」と言ったって、それは矛盾です。彼らは安心して傷ついたり失敗したりすることができない。再チャレンジということがなかなかできない。

2010.5.4 記事提供:読売新聞 




6 なぜ日本では自殺が多いのか


 --自殺についてうかがいます。自殺者は1998年から大きく増え、不況が影響していると言われています。しかし、諸外国では経済状況と自殺にはあまり関係がなくて、経済危機は自殺の増加に結びついていません。

  香山 日本で自殺が増えたのは、経済状況が原因ではないと思います。2002年に景気回復したけれど、自殺は減らなかったどころか、過去最悪でした。自殺が増えたのが、たまたま不況の時期であっただけです。ところが、多くの人は経済問題が引き金になって自殺が増えたと思った。だから業績を上げなきゃいけないと路線変更したけれど、景気は回復したのに自殺者は増えたという皮肉なことになりました。

  精神科の診察室で感じるのは、うつの人が多いことですが、生活困窮者、多重債務、DV(ドメスティックバイオレンス=家庭内暴力)、リストラ、派遣切り、家を失ったとか、現実の困難が引き金でうつになっている人が多くいます。うつの問題以前に、お金がない人が多い。そうなると、治療するというより、生活保護、法テラス紹介といった窓口を紹介する業務がとても増えています。その人たちは、安易に精神科に来ているのではなく、どこにも相談するところがない

  昔なら個人的知り合い、上司、親戚、恩師とか、プライベートなつながりの中でだれかに相談するというクッションがあったと思いますが、今それが全然ない。「1週間でも家に泊めてくれる友達はいないの?」と聞いても「いない」と言う。無縁社会という言葉もありますが、セーフティーネットという政治がつくるシステム以前に、生活の中のセーフティーネット、インフォーマル(非公式)なセーフティーネットがなくなっている

  --不況が原因というより、人とのつながりが希薄になっていることが自殺に関係しているわけですか?

  香山 診察室で「誰か力になってくれる人はいないの?」と聞くと、「こうなったのは私が悪いから」といいます。成果主義とともに出てきた自己責任論です。人に頼ってはいけない、自分でなんとかすべきだ、弱みを見せてはいけないという気持ちが強い。借金の取り立ては弁護士に相談すればいいと思いますが、「誰にも言えない」と言うのです。精神科に駆け込む人はいいが、精神科に来られない人もたくさんいる。そういう人が自殺を選んでいるように思います。

  --生活の中のセーフティーネットが必要ということですね。再構築はできますか?

  香山 それは難しいように思います。寅さんの時代に戻って近所付き合いをしろと言っても、そういうのが煩わしいから私たちはやめてきたのであって、今さらやれと言われても難しい。会社によっては運動会や社員旅行を復活させたり、ひざつきあわせてやろうと言ったりする会社もある。ある程度はできるかもしれないけれど、あとはサービスとかNPOや行政のサービスでやるしかないのでは。さすがにみんな「これはまずいんじゃないか」と思ってきているので、少しは良くなるかもしれません。煩わしさを避けてばかりじゃだめだから、面倒くさいけど友達付き合いするかとか、親戚の集まりに顔だすとかということはあるかもしれない。

  --自分の周りに頼るものがないから自分しか頼れない、と考えるとよくないように思います。精神的に危機に陥った時、どう考えたらいいでしょう。

  香山 短期で結果を出すのではなく、長い目で見ることが大切です。人生山あれば谷あり、楽あれば苦あり、負けるが勝ち、禍福はあざなえる縄、どれも正論だと思いますね。短期に「勝った」「負けた」「失敗した」「しまった」と、その場で結論を出してしまうのではなく、うつ的な気持ちになっても少し待ってみよう、というように考えるわけです。去年より年収は下がったけど余裕が増えたとか、数字だけで測らないことも必要ですね。

  --最後に、近しい人がうつ病になった時の接し方について。うつ病患者を励ましてはいけないという考えが広まり、「何も言えなくなってしまった」という話を聞きます。昔だったら、周囲が励ますことで仕事を続けていたのに、今はそれができず、休職するしかないといいます。

  香山 コミュニケーションが不自然になるのはいけません。腫れものに触るように接すると、扱われるほうもそう感じるし、扱うほうも「おれだって休みたいのに」と思い、人間関係がぎくしゃくする。「俺だって忙しかった。お前もできるはずだ」というような押しつけはいけないけれど、「頑張ろうよ。でも、だめだったら言ってね」と、相手が言い返せるようなコミュニケーションができていればいい。「僕から見ると、会社に来れそうだけど、どうなの?」「いや、だめなんですよ」といった具合に。相手の状態をよく見たうえで、「来週あたり、頑張ってきてみたら?」といった言い方は悪くないと思います。

  --ありがとうございました。

2010.5.5 記事提供:読売新聞