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10.歯と口の痛み
 

東京医科歯科大学、研修医セミナー第25週「歯・口の不定愁訴」─Vol.1

神経抜いても歯痛が残る謎

講師は東京医科歯科大学歯科心身医学教授の豊福明氏。

豊福 歯科心身医学の豊福でございます。皆さん、週末のお疲れの時間帯にご参集いただき、誠にありがとうございます。

今日いろいろ考えてきたのですけど、どちらかと言うと医科の研修医の先生向けに話を作ってきました。

僕は医科歯科大出身ではありません。九州大学歯学部を卒業してすぐ福岡大学医学部歯科口腔外科に入局しました。歯科心身医学がやりたかったからです。実は僕が5年生、6年生の時に学生実習で各科に回った時にとにかく歯科は不定愁訴が多かったんです。指導教官がどうするかと思ったら、「異常ありません、お帰りください」と言って追い返していた。患者は泣いていました。僕らは間に挟まれて「これは、どげんかせんといかん」と思っていたのがこの道に入った動機です。

歯学部で仕事をするのは5年前に本学に来てからが初めてでした。先ほどのような認識不足は医科歯科大でもあんまり変わっていないなあ、というのが実感でした。不定愁訴と言うと、すぐメンタルなものにされがちですが、そうでもないということもちょっと見えてきました。そういうお話も少し入れたいと思います。

僕たちが今メインで診ている歯科心身症と言うと、中高年の女性の方たちが、見た目は何ともないのに、ちょっと具合が悪いと訴え、「歯を抜いてくれ」「削ってくれ」と言われて困るというイメージがあるかと思います。その通りにしても良くならないし、すごく困ることがあります。むしろやればやるほど悪くなる。

こういういわゆる歯の不定愁訴の患者が全体の10−15%くらいいると言われています。

由来が分かりにくい症状。
由来が分かりにくい症状。

歯科医も、医師も不定愁訴の中の特に歯、口の症状はどこから由来するのか非常に分かりにくい。おそらく解剖学的にもちょっと難しいところもある。口の中がとにかく痛い、ひりひりする、渇く。こんなような方は全部がシェーグレン症候群というわけではありません。医学部を出た先生方にとって口腔内はほとんど暗黒大陸でしょうか。何とも言えない訴えが結構多い。この辺りをどうするかが問題です。歯科では、いわゆる歯科心身症ということで専門学会もできて30年ぐらいになります。

歯の痛みは意外と歯医者にとっても難しいのですね。神経を抜いても治らない。歯を抜いても痛みが残る,というケースが近年、世界的に問題になっています。見た目は何ともないのに口の中がひりひりする、舌痛症という病気も多いです。また口腔異常感症という非常に大きな疾患概念があります。口の中が渇く、ねばねばする、味がおかしい、そんなものを全部ひっくるめた総称です。歯の咬み合わせ、口臭の問題もあります。

不定愁訴ではなく「MUS」

豊福 不定愁訴という言葉はよく使われますね。ちょっと前に『チーム・バチスタの栄光』という本が大ヒットしました。主人公の田口公平はいわゆる不定愁訴外来の万年窓際講師という設定です。なぜかテレビになったら特殊愁訴外来になっていました。不定愁訴という言葉は患者に失礼という感じがするらしいですね。何となくメンタルのイメージで使われることが多くなってきて、結果的に患者にとっては非常にネガティブな響きがあるからテレビでは敬遠されたみたいです。

最近はこの不定愁訴という言い方をやめて、「MUS」と呼ぶことが提唱されています。「Medically Unexplained Symptoms」。未知の疾患による身体症状という意味です。

我々にとっては非常に厳しい定義ですが、MUSとは要するに医療者側の能力不足のために未診断のまま放置されている身体症状のことです。その中には、いわゆる身体症状を伴う精神疾患を見逃すケースも含まれます。一方で、心因性と誤診された身体症状も含まれます。これは「心身症」などと決めつけてたら、実は虫歯があったというのは非常にまずいですね。

虚偽性障害、いわゆる詐病のような精神科医師にお願いする領域もあります。これらをひっくるめて広い概念としてMUSと言います。原因が分からないものを心因性と決め付けず、現時点で原因が分からないものとして判断を保留しておくということですね。変に「心の問題」といった先入観に縛られず、器質的な病気の見落としも防げるということです。僕らは歯医者なので口の中だけ診てとなりますが、その中で分からない病気もたくさんあるはずです。むし歯と歯周病だけじゃなく、いろいろな患者さんがいるというふうに、想定範囲に広げておくことが大事です。

PIPCとは。
PIPCとは。

あともう一つ、どの科でも、歯科でも、内科でも、外科でも、外来ではMUSの方が来ればメンタルの評価はある程度できないといけない。確定診断しなくていいです。そこで何か良いスクリーニングはないかとなると思います。

「PIPC(psychiatry in primary care)」という米国内科学会の公式の教育訓練システムがあります。内科医が精神科医になるという意味ではなく、内科医が自分なりに、かつ妥当に精神科的な対応ができるようになるための教育訓練システムです。日本では信愛クリニック(神奈川県鎌倉市)の井出広幸先生らが日本に持ち帰られ、PIPC研究会(PIPC研究会)を立ち上げておられます。米国の患者さんは、例えば精神科の専門医の診療を受けるには何カ月待ちという状況があります。患者が待つその間はプライマリケアの内科医が患者を抱えることになります。その中にはやっぱり待てない患者、例えば希死念慮の強い方などはたくさんいます。そう言う状況をどう評価して、どう対応するかもPIPCには組み込まれています。

初診の20分ぐらいである程度のスクリーニングができると言われます。だいたい2割の知識で8割ぐらいスクリーニングできるというのがミソです。

簡単に言いますと、お配りしたような問診用紙3枚が、実物のフォーマットです。初めの1枚が「背景問診」。既往歴から始まって、いわゆる心理社会的背景まで踏み込むような質問が書いてあります。この「背景問診」で患者さんごとの個別な問題を把握します。この意義は患者と良い人間関係を作る目的もあります。治療関係を作るということです。2枚目からはMAPSOと言って、DSM-IV-TR(精神疾患の統計と診断の手引き)の言葉を使って、うつ、不安障害などについて心理コンディションを簡単にかつ適切に評価できるようになっています。最初からこのMAPSOを聞きません。内科とか歯科に来て何で憂うつですか、と聞かれなければならないのかとなります。心の問題に少しずつ入っていく。最終的に自分でそのまま診て大丈夫か、それとも精神科に紹介すべきか、の意思決定をしていくシステムです。


主訴はむしろ最初に聞かないのが基本とされます。そもそも主訴は問診票に書いてあります。主訴は聞かないというよりも既に聞いている。結局一通りの診察をして、MUSではないかと疑った時に初めてこのPIPCが発動されるということです。


まず身体的既往歴から入っていく。一番聞きたいのがメンタルの既往歴があるかどうか、です。例えば昔うつをされた方がしばらくよくなっていた。今回、いわゆるMUSで受診されたというケースでは、うつ病が再発している確率は非常に高くなる、ということです。また家族歴を把握することも非常に大事です。医科の先生方はよくご存じと思いますが、双極性障害、統合失調症の家族集積率はだいたい3割から4割ですよね。必ずチェックしてください。

「MAPSO」症状概要つかむ

豊福 家族や職業、プライベートの質問項目はいわゆる心理社会的背景です。井出先生の持論では、だいたいストレスの8割は人間関係で起こっているそうです。人間関係のストレスのほとんどが会社、職場、家族、プライベートのどれかということです。この辺りを押さえると、だいたい患者さんがどういうバックグラウンドを持っているかが浮かんでくるわけです。

アルコールの問題は申し上げるまでもないと思いますが、やっぱりこの辺りが問題があると別の意味では問題になってきます。薬を出すときに効き方が悪くなるとか脳に器質的な問題がでてないかという点に気を付けるといったことです。

結局、主訴ではなく「標的症状」を見つけることが重要です。患者の本当のニーズはどこにあるか。「舌が痛い」と言っているが、実は癌を心配しているかもしれない。この標的症状を患者の言葉で返すと、「この先生は分ってくれた」と信頼関係が早い時間で構築できます。

MAPSO、心理コンディションの把握。
MAPSO、心理コンディションの把握。


「背景問診」のあとに心理コンディションの把握するツールが「MAPSO」です。気分障害(M)、不安障害(A)、精神病群(P)、薬物誘発性障害(S)、器質性・その他(O)の頭文字をとってMAPSOです。確定診断をする必要はなく、大まかに8割カバーできたら良しとします。完璧は無理です。特にその他の(O)中にパーソナリティー障害や身体表現性障害といった難しい病気も入ります。

フォーマットを読んでいって、睡眠、うつ、躁エピソード、不安障害、精神病症状といった傾向をなるべくスピーディーにつかんで、地雷を踏まないようにします。治療が変わるもの、予後が変わるようなものは非常に慎重に対応します。だけど、僕らのところへ来られる患者は、精神科にお願いするケースはそんなに多くはありません。歯科心身症外来を受診される方全体で20%はいかないと思います。我々が診るのはMUSに、うつ病とは言えないうつ傾向がちょっとあったり、不安があったりするケースがほとんどです。躁やひどいPTSDがある方はほとんどいません。

どのような患者だったら研修医の先生方でも取っつきやすいかというと、一つは年齢的に更年期前後の患者さん。2つ目は既往歴や家族歴においては、メンタルの既往や家族歴がない方。3つ目に生活歴としては、離婚や頻回の転職といった人生の波がたくさんはない方で、割と人生を順調にしてこられた方。こういった条件を満たす患者でしたらを比較的安心です。

MAPSOによって、精神科専門医に紹介すべき患者を絞り込みたいわけです。特にルールアウトしたいのが双極性障害、統合失調症、パーソナリティー障害の方です。先ほどの3つの条件で絞っていくと、こういう重い病気はかなり確率が低くなってきます。

2013年5月2日 提供:M3