1月の診察室では、「正月の帰省」をめぐる話題がよく語られる。それも、どちらかというと「家族とぶつかった、傷つけられた」というネガティブな話が多い。
中でも目につくのが、実家で久しぶりに顔を合わせたきょうだいと衝突した話だ。とくにお互いおとなになっていたり家族を築いていたりすると、きょうだい間でも“格差”が生まれる。「兄一家が帰省したけれど何もせず、妹の私ひとりが働いた」「妹がウチの子どもにお年玉をくれなかった。私はあげたのに」など、何かにつけ比べては「ひどい、ずるい」と相手を非難する。そして最後につけ加わるのが、「そういえばあの人は子どもの頃からそうだった」というひとことだ。
きょうだい間の嫉妬、憎み合いなどの葛藤に、心理学者のユングは「カインコンプレックス」という名前をつけた。カインとは旧約聖書に出てくる人物で、「自分よりも神さまに気に入られた」という理由で弟のアベルを殺害してしまう。
面白いのは、愛情に差をつけたのは神さまなのに、カインは神をではなくて弟を憎んだことだ。一般のきょうだいもそうかもしれない。もともとはきらいではないのに、親が自分よりもきょうだいのほうを愛しているように感じる。あるいは、天までもきょうだいに味方して、向こうばかりがラッキーに生きている気がする。本来なら親や天に「どうして? 私だって一生懸命なのだから、こっちを向いてくれてもいいじゃない」と抗議すべきなのに、そうしない。そして、良い思いをひとりじめしているように見えるきょうだいに、恨みや憎しみを向けてしまうのだ。
きょうだいに腹が立つ、という人は一度、考えてみたらどうだろう。私が怒っているのは、本当にそのきょうだいに対してなのか。もしかすると、「もっと私のことも見て、やさしくして」と要求したい相手は、どこか別にいるのではないか。
診察室でいつも弟の悪口を言っていた女性は、時間をかけて話す中で、「自分の妬みの原因は、弟がその妻に大切にされているのに、自分の夫は私に無関心なことなんだ」と気づいた。そして「今年はまず自分が夫を理解しよう」と心を決めたら、イライラの気持ちも消えていった、と話してくれた。
今年の正月、きょうだいに対してマイナスの感情を抱いた人がいたとしたら、きょうだいはあなたにこう気づかせようとしたのかもしれない、と考えてはどうだろう。「ねえ、あなたには誰かほかの人に言いたいことがあるんじゃないの?」
〔都内版〕
2013年1月15日 提供:毎日新聞社