とても夢のある記事を雑誌で読んだ。
「プラナリア」という生き物がいる。日本でも水の中などで普通に見られる、ヒルの親戚のような生物だ。このプラナリアは体を再生する力がとても強くて、細かく切断してもそれぞれに脳や目にあたる器官ができて、元の大きさに戻ることで知られている。
切られても「倍々ゲーム」のように増える、驚異の生き物プラナリア。とはいえ、これまでは、元のプラナリアと再生された第2、第3のプラナリアの脳の中身は全く別物、と考えられていた。考えてみれば当然だが、新しく作られた脳は、元の自分だった時の記憶を持っていないということだ。もちろん、増えたプラナリア同士が「オレたちって似てるなあ」「もしかして、元は同じだったんじゃない?」などと気づくこともない。
ところが最近、研究者が大きな発見をした。それは、プラナリアにエサの場所など簡単なことを学習させてから切断すると、再生したプラナリアも以前、覚えたエサの場所を思い出すようだ、というのだ。
脳は全く新しく作られたわけだから、エサのことを知っているわけはない。となると、元の個体の一部、腹や足にあたるところに記憶が残っていて、それが新しい脳に移動したのだろうか。
なぜこの話に、夢があるのか。それは「生き物は、脳でだけ考えたり、記憶したりするわけではないのかも」という可能性を示しているからだ。実は、私たちは日常的に「腕に仕事のコツが染み込んでいる」とか、「舌が優れた味を知っている」などと、よく口にする。「体が考え、覚える」ということを知っているかのように。
理屈では「思考や記憶は脳だけの能力」と言っていても、「体だっていろいろなことを記憶できる」と感じているわけだ。
プラナリアでの今回の発見は、私たちの経験が科学的にも正しいことを明らかにしてくれるかもしれない。
そして、もしそうだとしたら、私たちは脳にばかりこだわらず、もっと「体の記憶」を大切にしてもいいはずだ。また、年を取って脳が衰えてきたとしても、「まだまだ体は覚えている」と自分の体に働きかけて、記憶のリハビリもできるのではないだろうか。
小さなプラナリアが教えてくれた、「体で考え、体で覚えること」の大切さ。「人間、脳が全てじゃないよ」とつぶやいてみたら、なんだか私も、ちょっと前向きな気持ちになれた。