中国の大気汚染は一年中続き、日本でも影響が大きく出て、
喘息や百日咳など喉の疾患や肺疾患、アレルギーが増加している


【土井正己のMove the World】どうなる中国、維持できるか自動車大国の夢

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2013年の中国の自動車市場は、約2200万台(前年比13.9%増)と2009年にアメリカを抜いて以来、世界1位の座を確実なものにしている。生産もほぼ同数であるので、国を挙げて進めてきた自動車大国の夢が叶ったといってもよい。しかし、最近その夢は「悪夢」に変わってきている。

先月の末、中国政府は、2014年、2015年の2年間で1100万台の自動車を減らすと発表した。古いクルマで、現在の環境基準に達していないものを強制的に廃車にするというわけだ。北京や上海など大都市での大気汚染は凄まじい。特にPM2.5は人体に入り込むと悪影響を与えるため、市民の不安は拡大しており中国政府としても「経済優先」とは言っていられなくなってきている。北京のドライバーの人は、「この空気の中では、とても道を歩く気がしない」といってクルマに乗っているそうである。北京では、渋滞も激しく、平均の車速は17kmで自転車の方が速いというのが実態であるが、それでもクルマに乗るのは大気汚染が理由という皮肉なことも起きている。

もっとも、大気汚染の理由が、クルマだけというわけではない。クルマの貢献度は3割くらいで、石炭を使う火力発電所からの排気が大きく貢献しているといわれている。よって、政府は古い火力発電所を廃業させるという施策も同時に発表している。

◆大都市では販売台数も制限

「悪夢」への対応は、実はかなり前から始まっている。北京市では、2011年に新車の登録に必要なナンバープレートの発給枚数の制限を始めた。それまで、年間70万台程度の新車登録があったものを一挙に年間24万台分の発給に制限したのである。さらに、2014年は、15万台分のプレートしか発給しないという。

北京では、このナンバープレートの割り当ては抽選で決まるのでまだ良い方だが、上海に行くと、オークション方式となっている。オークションへの参加費用が2000元(3万2千円)で、オークションでの落札価格は、昨年実績で90000元(約145万円)程度もするらしい。もうとても一般市民には、他が届かないところにいっており、クルマは再び、お金持ちしか持てないものになってしまっている。

このナンバープレート発給制限の動きは、大気汚染問題が激しさを増すにつれ、中国の大都市に広がりつつあり、今では北京、上海、杭州、貴陽、天津、広州などが実施しているが、それに続く都市の名前も出てきているようだ。「わが町でも始まる」というような噂が広がると、購入検討者は、自動車ディーラーに殺到して注文書を書くという。しかし、その後の販売は激減するわけだから、北京では自動車ディーラーの倒産も増えているようだ。また、自動車の販売単価が上がっており、国産車の比率が落ちている。

◆170の国産自動車メーカーは大丈夫か

これまでは、さほど大きな問題になっていないが、この新車販売台数制限が、他の都市にどんどん広がると中国の自動車産業ばかりか、中国経済に大きなマイナス影響を与える可能性がある。

本年3月に中国政府は、「国家新型都市化計画」を発表したが、その中で、中国の人口100万人以上の都市は1978年にはわずか29か所だったのが、現在は142か所に達しているいう。そのうち人口1000万人以上の都市は6か所あり、500万-1000万人の都市は10か所あると述べている。これらの都市で中国経済のほとんどを担っていると思えるが、これらが軒並み新車販売の台数制限を始めると一挙に市場は冷え込む。先ほども述べた通り、「規制が始まるかも」という噂が流れるだけでも、市場が大きく混乱することは間違いない。170もの国産メーカーを擁する中国の自動車産業全体に大きなマイナス影響を与えることになるだろう。

◆「日本モデル」の提案を

中国の都市への人口集中は衰えを見せない。都市化問題は、これから益々大きな問題になっていくものと思われる。現在の新車販売台数規制というのは、むしろクリーンになってきている新車の台数を規制しているものであり、本当にどこまで環境改善に効果があるのか疑問視する声が多い。それでも導入する都市が多いのは、環境問題があまりにも急速に市民の不安となってきているからであろう。

日本は戦後の高度成長期に公害問題や都市化問題に直面し、経済成長を犠牲にすることなく、こうした問題を解決してきた。外交的な問題があることは理解しているが、日本としても、これまで取ってきた環境政策や経験、そして技術などを通じ、困難に直面する中国に手を携えてはどうだろうか。

<土井正己 プロフィール>
クレアブ・ギャビン・アンダーソン副社長。2013年末まで、トヨタ自動車に31年間勤務。主に広報分野、グローバル・マーケティング(宣伝)分野、海外 営業分野で活躍。2000年から2004年までチェコのプラハに駐在。帰国後、グローバル・コミュニケーション室長、広報部担当部長を歴任。2010年の トヨタのグローバル品質問題や2011年の震災対応などいくつもの危機を対応。2014年より、グローバル・コミュニケーションを専門とする国際コンサル ティング・ファームであるクレアブ・ギャビン・アンダーソンで、政府や企業のコンサルタント業務に従事。

《土井 正己》

引用:Response 2014年06月25日(水)
2014年6月26日更新