はじめに
1998年10月に衛生放送で「精子が減っていく−脅かされる生殖機能」というタイトルで放送されて以来、新聞、雑誌に環境ホルモンと歯科材料問題(歯科用シーラントからビスフェノールAの溶出)が取り上げられ、患者あるいは歯科医師からの問い合わせが日歯や厚生省へ増加するようになった。
最近、信頼性が向上した機器により従来の分析より制度の高い分析結果が示され、シーラント、コンポジットレジン、ポリカーボネートクラウン(暫間被覆冠)からビスフェノールA(表)および歯科用軟性裏装材および塩化ビニール製グローブからフタル酸エステル類がごく微量に検出されている。さらに最近、コンポジットレジンからベンゾフェノンおよびアセトフェノンが検出され、これがエストロジェン様作用(女性ホルモン様作用)を示すことが報告されている。
そこで筆者は、歯科治療後のこれら材料からの溶出による人体曝露が懸念されることから、コンポジットレジン充填後の唾液中のビルフェノールA濃度の変動を検討した。
方法
9社の市販のコンポジットレジンを硬化させ、充填前、充填直後およびうがい後に被験者より唾液(各5分間)を採取した。採取した唾液を3000rpmで遠心分離後にその上澄を試料とし、BPA ELISA(Ohkuma*らの方法)を用いてイムノアッセイにより測定を行った。
*Ohkuma, H.et al: Development of a highly sensitive enzyme-linked
immunosorbent assay for bisphenol A in serum, Analyst,127:93~97,2000.
成績
4名の被験者について、唾液中に3M社のZ-100コンポジットレジン由来の検出されたビスフェノールAの量は、0.87±0.69ng/ml(充填前)、32.1±16.27
ng/ml(充填直後)、3.1±1.47 ng/ml(うがい後)を示した。
うち1名について充填後1、2、3、6、7、8、9、10、11、24、72、96、120時間後の唾液を採取してビスフェノールAの量を測定すると、11時間後まではうがい後の濃度(1.77
ng/ml)から充填前の濃度(0.29 ng/ml)間で変動するが、その後は充填前の濃度レベルに収束することが認められた。
Bis-GMAをモノマー主原料とするビューティフィル(松風)は3名の充填例とも高値傾向を示した。最も溶出量の少なかったものはウレタン系のユキフィルS(GC)であった。
以上総括すると、Hamidらの報告からLewisまでの報告まで、ほとんど歯科材料からのビスフェノールAの溶出が報告されていない、あるいは溶出されたとしても微量である。これは分析機器や分析技術が未発達の時期であったため、その多くは検出されない。
しかし、分析機器の発展に伴いArenhalt-Bindsier以下多くの研究者らは100ng(ppb)以下のビスフェノールA溶出を報告している。しかし、Pulgar、Oleaらのデータは0.03〜1.1?/mg
resin(3〜1,100ng/rejin)とかなり高い溶出なので、その分析値には1996年最初の報告と同様、信頼感が薄いと思われる。
Petsceltらも異常に高い溶出量なのでOleaら同様、実験結果に信頼性がない。Nodaらの報告と同様、筆者らのグループのウレタン系のコンポジットレジンからもビスフェノールAの溶出が観察されている。
なお、シーラントおよびコンポジットからのビスフェノールAの溶出量には明らかな差は認められていない。1日許容摂取量[50,000ng/kg/日]に比べて、充填材料等の溶出量は、はるかに少ないことから、そして現在のデータを総合すると、成人に対して現在の充填材料の使用量を考慮するとほとんど問題がない量と推定されるので、妊婦に対してはウレタン系のコンポジットレジンやシーラント、化学重合型の材料を使うことを勧めたい。
考察
歯科治療に使用されるシーラント、コンポジットレジン ボンディング社には、Bis-GMAのみならず多くのBPA類縁化合物がモノマーとして多用されている。公表されている範囲からみても、これらの歯科材料の成分は単一ではなく、実際の治療現場で重合させて使用する際に、単純な不重合物の生成のみならず副生成物や不純物の除去は困難である。このことが内分泌攪乱作用を懸念される材料の安全性確認を巡る論議をより複雑にしている。
BPAの溶出はあるのか、どのレベルで検出されるのか、より臨床に近いところでの分析を頻回に行うためには、HPLCやGC/MS等の分離分析は煩雑過ぎる側面があることは否めない。
本研究に用いたELISAキットは、血清・血漿中のBPA測定用に開発されたものであるが、唾液を検体とした分析も有効であることが分かった。本キットで検出する唾液中のBPAの動態から考察すると、コンポジットレジン充填による治療においては、
1)充填直後に数十から100 ng/mlレベルのBPAが唾液中に含まれるが、充分なうがいを行うことによって口腔内から除去することは可能である。
2)うがいによる除去後、半日後以降は恒常的なレベルに収束する。
3)充填材料によっては充填直後でも10 ng/ml以下の低濃度に抑えることができる。
従って、内分泌攪乱作用の影響を受けやすいと思われる妊婦や小児の歯科治療ではリスクマネージメントの視点から、治療後の十分なうがいの励行を指導するか、材料の選別を実施することが肝要と判断される。
(保団連医療研究集会発表演題より)
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