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インフォームド・コンセントの本当の意味

 皆さん、いかがお過ごしでしょうか? すっかりご無沙汰してしまいました。その間に、ニューヨークでは美しい秋が足早に過ぎ、寒い寒い冬が来ました。今ようやくその冬が終わりに近付いてきましたが、つい最近も大雪でニューヨークの街は大変でした。もう3月になったというのに、まだしばらくは寒い日が続きそうです。

  私の働くコロンビア大学の病院の窓からは、マンハッタンの西側を流れるハドソン川が見えます。真冬は、最高気温が氷点下の日が多く、川が凍り付いていることもあります。ハドソン川の対岸はニュージャージーです。寒々とした眺めを想像する方も多いと思いますが、氷の浮かぶハドソン川を眼下に、雪景色のニュージャージーを対岸に望む光景は、実はとてもきれいです(暖かい病院の建物の中から眺めている限りは…)。

  病院はマンハッタンの北の端にあるのですが、そのすぐ横には対岸のニュージャージーに渡るジョージ・ワシントン・ブリッジがあり、これも病院の窓から見えます。巨大な銀色の橋の鉄骨が冬景色にとてもよくマッチして、晴れ渡った日にはちょっと神々しささえ覚えるような迫力があります。

  ところで、前回の記事をアップしてすぐに、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の取材がありました。ほぼ2カ月間付きっきりで取材を受けて、こちら側もそれなりに大変でしたが、時間と手間を惜しまない取材チームの姿勢は素晴らしく、番組の仕上がりもよいものになったのではないかと思います。既にこのブログにも感想を寄せていただいているようですが、ほかにもご覧になった方があれば、ぜひ感想をお聞かせください。

説明だけじゃ意味がない
  さて、今回はインフォームド・コンセントについて書いてみようと思います。

  インフォームド・コンセントという言葉が日本の医療現場で用いられるようになって、かなりの時間がたちます。皆さんは、インフォームド・コンセントをどのような日本語に置き換えて理解されているでしょうか? 「説明を受けた上での同意」というのが、最も一般的な理解の仕方ではないかと思います。私は、この「説明を受けた上での同意」という日本語訳が、本来のインフォームド・コンセントの概念を間違って伝えているのではないかと思っています。

「インフォームド」(informed)は受身の形になっているので、「説明をする」という動詞の受身として「説明を受けた」と訳されがちです。しかし、「インフォームド」の本来の意味は、「説明を受けた」とはだいぶニュアンスが違います。英英辞典で調べてもらえばすぐに分かるのですが、「インフォームド」は「知識を持っている」(having knowledge)とか「インフォメーションを持っている」(having information)という意味で、「インフォームド・コンセント」(informed consent)は「その事柄の意味、その行為を取ることによって将来何が起こるかを明確に理解した上での同意」(An informed consent is given based upon a clear appreciation and understanding of the facts, implications, and future consequences of an action.)となっています。つまり、「内容を理解した上で同意する」のがインフォームド・コンセントの本来の意味なのであって、説明したかどうかの問題ではないのです。

  もちろん、理解してもらうには説明する必要があります。ですから、説明することが大切でないというのではなく、説明しても患者側が理解できていなければインフォームド・コンセントではないのだということです。そんなふうに考えると、インフォームド・コンセントは「理解した上での同意」と訳すべきだと私は思っています。

患者参加型医療を実現するには
  皆さんはインターネット上で買い物をしたり何かしらの会員になったりするときに、規約が書かれた画面が出てくるのをご覧になったことがあると思います。こんなとき、一般には「同意する」をクリックしないと先に進めないようになっていることが多いでしょう。さて、どのくらいの方が「同意する」をクリックする前に規約をちゃんと読んでいるでしょうか?

  正直言って、私はほとんど読んだことがありません。本当は読まないといけないのでしょうが、「きっと読んでもあまり分からないだろう」と思うのと、同意しようとしているサイトを運営しているのがちゃんとした会社であれば、「まあ大丈夫だろう」「きっとだまされるようなことはないだろう」と思ってしまうのです。

  このとき、私は形の上ではインフォームド・コンセントをしたことになります。でも、これは真の意味でのインフォームド・コンセントではありません。なぜなら、私は書かれている内容を理解していないからです。

  では、なぜ規約に同意しないと先に進めないようになっているのでしょうか? それは、規約の内容を説明する必要があるからです。説明せずに契約をしたり会員にさせたりして、何か不都合が生じないようにするためです。

医療の世界でいう同意書にも、治療に際して患者が医療者の説明を聞いたかどうかを確認するという意味合いがあります。後でトラブルになることを防ぐためです。しかし、トラブルを防ぐために署名をもらうというのは、医療におけるインフォームド・コンセントの本来の趣旨ではありません。

  医療におけるインフォームド・コンセントは、患者が治療内容を理解して同意することによって初めて治療を行なうという、患者参加型医療の根幹を成すものです。かつて医療は、医師を中心とする医療者に委ねられていました。どちらがよいかはっきり分かっていない2つの治療方法があったとして、それを選ぶのは医師であって患者ではなかったわけです。

  欧米を中心に、患者が治療を選択できるという考え方が医療の世界に取り入れられるようになったとき、インフォームド・コンセントの概念も医療の世界に入ってきました。しかし、このインフォームド・コンセントが患者参加型医療という考え方ときちんと結び付いていなければ、本当の意味での患者参加型医療とはいえません。

“勝負”はずっと前に決まっている
  日本の病院では、よく手術の前日に患者説明を行ないます。大学ならば教授、一般病院なら外科部長など責任のある立場の人が出て来て、患者や家族に説明をし、その後で同意書にサインをしてもらうということが多いでしょう。説明内容に対する患者の質問などを記録するため、看護師が同席してメモを取っていることも一般的です。

  さて、手術前日に初めて細かい治療内容を患者が聞いたとして、どの程度の人がきちんと理解できるのでしょうか。また、疑問があったとしても、“偉い先生”を前に、誰かが横でメモを取っているような状況下で、どの程度の人が聞きたいことを質問できるでしょうか。

  そもそも、手術が翌日に控えていて、家族も含めて皆がそのために集まっている状況では、内容が理解できないからといって、手術を受けることをやめるわけにはなかなかいかないでしょう。また、医師・病院の側からしても、翌日に予定されている手術を前日にキャンセルされることは想定していないわけで、説明が理解できない、または説明が理解できても同意できないということがあっては困るわけです。

  つまり、このような同意書の取り方では、内容を理解していなくても、本当はその治療に納得していなくても、状況に流されて同意している可能性が少なからずあると思うのです。

 前述したインターネット上の規約への同意の話と同じように、「この先生なら信頼できるからいいだろう」「この病院なら間違いはないだろう」といったように、信頼や評判を基に同意している可能性もあります。もちろん、信頼や評判を基に同意することが悪いわけではありません。患者が説明の内容だけで同意するかどうかを決める必要があるわけでもありません。

  しかし、患者参加型医療を実現するためには、少なくとも同意を取る前に、患者が理解しているのかを確かめる必要があります。そして、そのためには時間が必要なのです。手術前日になって初めてきちんと説明するというのでは、本当の意味で患者に「理解した上での同意」をしてもらうことは不可能です。

  真の意味でのインフォームド・コンセントを取るには、同意書に署名をもらうときの説明よりも、初めて患者と出会ってからそれまでに行なってきた説明の方がはるかに重要です。以前、私の施設を取材に来た日本の報道の方に、「同意書を取るときには、私はそんなに長く時間をかけない」ということを話して驚かれたことがあります。その人は、「インフォームド・コンセントを大切にするアメリカの医療現場であれば、さぞかし長い説明が行なわれるのだろう」と思っていたようです。

  患者に本当の意味でインフォームド・コンセントをしてもらえるかどうかの“勝負”は、同意書を取る日の前に既に着いています。それまでにきちんと理解が得られていなければ、いくら同意書のサインをもらっても、インターネット上で規約を読まずに同意しているのと同じことです。

No question is bad question.
  さて、それではどのように患者の理解を確認すればよいのでしょうか。ここが難しいところです。その鍵は、患者に自分の言葉で質問してもらうことだと私は思っています。「何かご質問はありませんか?」――この一言が、きちんとした理解を得てもらうための糸口になることがよくあります。

  忙しい診療現場では、質問に受け答えする時間を取るのは確かに難しいと思います。特に、説明がとてもうまくできて患者が納得している様子のときは、あえて質問してもらう必要はないような気がしてきます。私もそんなふうに思って、失敗したことがたくさんあります。

 これを読んでいる医師の皆さん、説明がうまくいって患者が納得しているふうに見えても、あえて「何かご質問はありませんか?」と尋ねてみてください。きっと皆さんが思っているより、意外な質問が出てくることが多いでしょう。

  私たちは「No question is bad question.」(どんな質問も悪い質問ではない)とよく言います。患者の質問は、どんな質問であっても、いろいろな意味でこちらの助けになるからです。質問の内容から説明の内容が理解できていないことが分かる場合もあるし、自分が全く考えていないことを患者が考えているのが分かる場合もあります。内容が理解できていない、または誤解されていることが質問から分かれば、その後の話し合いの中で互いの信頼を深めることができるでしょうし、自分が勝手に思い込んでいたことと全く違うことを患者が望んでいることが分かれば、それは治療計画を立てる上で大きな助けになります。

  もちろん、中には「先生が決めてくれればいいです」「お任せします」と言う人もいます。質問が出ないからといって、それが問題なわけではありません。しかし、今お話ししたような、患者自身の言葉で質問してもらうやり方に慣れてくると、その患者が本当の意味で理解していないときは、なんとなく分かるようになってきます。そんなときは、ほかの人に頼んで話をしてもらったり、少し時間を空けてから再度話をしてみたりしてもよいと思います。正直、こんなやり方をすることは、患者と話をするのに十分な時間を取れるアメリカでもなかなか難しいです。しかし、あえてそこで意を尽くすことが、その後の信頼関係の構築に大きく役立つことがよくあります。

  また、患者が「理解した上での同意」をしていることは、手術の成功にとっても大切なことだと私は思っています。一般的な手術であれば、それほど気にし過ぎなくてもよいかもしれませんが、前例のない手術をするようなときは、医師・医療チームの側と患者側が互いに納得して手術に向かうことが、両者にとっての心理的な支えになると思うのです。患者と一緒に治療をしているという気持ちになったとき、それが外科医の手を動かし、医療チームの背中を押す原動力になる。皆さんにもそんな経験がありませんか?

2010.3.25 記事提供:日経メディカルオンライン