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「意地でもここでやる」 4代続く歯科医、再起誓う

 津波が町を破壊し尽くした宮城県石巻市の旧市街地で、かろうじて残った歯科医院が診察を再開した。「代々通ってくれた患者さんへの責任」。歯科医三宅宏之(みやけ・ひろゆき)さん(39)は同じ場所で続く歯科医院の4代目。がれきだらけの町で再起を誓う。

 3月11日。処置中だった入れ歯がどこにいったか分からなくなるほどの揺れ。患者を帰すと、白衣のままの女性スタッフ4人と高台の自宅に逃れ、津波から助かった。

 2階建ての歯科医院は1階が泥に埋もれ、診察室のある2階の床まで水が達した。周囲の家や店は壊滅状態だったが「周りに何もなくなった中で昔ながらの歯科医院に電気がついていれば安心するじゃないか。ここでやれということなのかもしれない」。同じ場所での医院の継続を決めた。

 つながるようになった携帯電話で連絡を取り合い、三宅さんと女性スタッフ4人が医院に集まったのは3月31日。同日と4月1日は4人のうち2人が相次いで誕生日を迎える。それまでは外食など特別なお祝いをするのが習わしだった。

 前日の30日に仙台市まで行き、2人の誕生ケーキを用意した。3月は11日までしか働いていないが、1カ月分の給与を渡した。遺体の検視で歯型の記録を担当する警察歯科医でもある三宅さんは遺体安置所に通う毎日だったが「大事にしていた」お祝いだけはやりたかった。

 5月10日、水道が開通し医院を再開。玄関には、身元確認にカルテが必要な場合は、三宅さんの携帯電話に連絡をするよう番号を張り出している。患者からは死者、行方不明者が30人ほど出た。

 震災前は「難しい技術を習得できれば患者に還元できる」と学会に参加したり、大学院で博士号を取得したりした。検視に携わった遺体は約800人。すがりついて泣く遺族を間近で見るうち「人生観が変わった」。

 日に約30人が訪れた患者は数えるほどになり、収入減は覚悟の上。スタッフたちは大潮になれば道路が水浸しになる周囲の環境に不安げだ。それでも再開後「先生のところじゃないと」とわざわざ来てくれる患者がいる。「やれる範囲で患者さんに接していけばいい。意地でもここでやる」。固く決意している。

2011.06.02 記事提供:共同通信社