参考:MIT Technology Review 2020.12.22
宇宙飛行士56人を対象にした初の大規模研究によって、過酷な宇宙環境に長期間滞在すると人体にさまざまな生物学的変化が起こることが分かってきました。宇宙生物医学は新時代に突入しています。
スコット・ケリー宇宙飛行士は、国際宇宙ステーション(ISS)で340日間生活し、任務に当たったことで知られています。米国人として最も長く宇宙で過ごした記録です。ケリー宇宙飛行士のミッションのおかげで、科学者たちは、長期間軌道に滞在している間に人体に何が起こるのか、重要な知見を得ました。ケリー宇宙飛行士には、一卵性双生児の兄弟であるマークがいるからです(マークも宇宙飛行士で、もうすぐ米国上院議員になる予定です)。双子のケリー兄弟は、科学者たちに貴重な機会をもたらしました。宇宙で1年間過ごすスコットに起こることを研究するにあたり、地球にいるマークという対照被験者を持つことができたのです。
米国航空宇宙局(NASA)の双子研究は、我々が以前から疑っていたことについてより多くの証拠を与えてくれました。微小重力化で狭いカプセルに閉じ込められ、放射線に長期間曝露されると、免疫システムは打撃を受け、眼球は変形し、筋肉や骨量は著しく減少します。
しかし、意外な影響があることも分かりました。ケリー宇宙飛行士の腸内細菌叢が変化し、認知機能が低下し、特定の遺伝子発現のオンオフが変化し、さらに染色体の構造にも変化が現れました。
「双子研究によって、宇宙飛行に対する人体の分子の反応の大枠が初めて明らかになりましたが、まだまだ概要を埋める作業が必要です」。ワイルコーネル医科大学で生理学と生物物理学を専門とするクリストファー・メイソン准教授は語ります。「私たちが見た変化には、コンテキストや再現性がもっと必要でした。宇宙に行く他の宇宙飛行士や他の生物に見られる変化の頻度を精密にまとめたり、より短期のミッションでも変化の度合いが類似しているかを確かめたりするための、さらなる研究が必要だったのです」。
こうして、双子研究を基礎に置いた新たな一連の研究を開始し、新たな手法で元データを再分析し、他の宇宙飛行士との比較を実施することになりました。数々の学術雑誌にて現在発表されている19件の論文(さらに10件の論文が査読を受けている最中です)において、メイソン准教授ら(14件の論文の最終著者)は、ケリー宇宙飛行士を含む、宇宙で過ごした経験を持つ56人の宇宙飛行士に起きた生理学的、生物化学的、遺伝的変化を研究しました。この一連の研究は、宇宙生物学分野における史上最大規模の研究となります。
新しい論文では、近年ようやく容易になってきた細胞プロファイリングや遺伝子シーケンシングの手法を用いた実験結果と組み合わせて、「人間やマウス、その他の動物が宇宙に行くと常に現れる宇宙飛行の特徴がある」ことが明らかにされたと、メイソン准教授は言います。「哺乳類には、宇宙飛行の過酷さに対する適応や反応の中核となる共通の様式があるようです」。
いい奴、悪い奴、そして不可解な奴
研究者は、宇宙飛行中のすべての宇宙飛行士に起こる6つの生物学的変化を以下のように提示しています。酸化ストレス(身体の細胞にフリーラジカルが過剰に蓄積する)、DNAの損傷、ミトコンドリアの機能障害、遺伝子制御の変化、テロメア長の変化(染色体の先端の長さのことで、年齢と共に短くなる)、そして腸内細菌叢の変化です。
これら6つの変化の中で、最も大きく、最も意外だった変化は、ミトコンドリアの機能障害です。ミトコンドリアは、細胞、ひいては組織や臓器の機能を維持するために必要な化学的エネルギーを生み出すのに重要な役割を担っています。研究チームは、多くの宇宙飛行士にミトコンドリアの機能不全があることを発見し、新しいゲノミクスおよびプロテオミクスの手法によって、これらの変化の特徴を広範に記述することに成功しました。米国航空宇宙局(NASA)の生命情報科学者で研究論文1件の最終著者であるアフシン・ベヘシュティ博士は、宇宙飛行士が経験した問題の多く(免疫システムの欠損、概日リズムの乱れ、臓器の問題など)は、すべて同じ代謝経路に依存しているため、実は全体的に相互に関連しているということを、ミトコンドリアの抑制によって説明できると述べています。
「宇宙にいるときは、1つの臓器だけが影響を受けるのではなく、身体全体が影響を受けるのです」とべへシュティ博士は言います。「私たちは、ばらばらの点と点をつなげ始めました」。
遺伝子レベルで見られる問題に的を絞った研究も実施されました。双子研究では、ケリー宇宙飛行士のテロメアが宇宙では長くなり、地球に戻った直後は縮んで元に戻るか、あるいは元より短くなったことが分かりました。テロメアは加齢に伴って短くなるものなので、長くなる意味は分かりませんが、双子研究では、テロメア長が変化する理由や、どんな影響があるのかについての本当の結論を出すのに十分なデータは得られませんでした。
コロラド州立大学のテロメア研究の専門家で、複数の論文の最終著者であるスーザン・ベイリー教授は、新しい研究では、ミッション期間の長さに関係なく、ケリー宇宙飛行士と同じように、テロメアが長くなり、さらに地球に戻ると同様にテロメアが短くなった宇宙飛行士が10人発見されたと言います。
注目すべきことに、新しい一連の研究論文の中の1つでは、テロメアが長くなる現象はエベレストの登山家にも見られることが分かったと述べられています。この発見は、ベイリー教授や同僚の研究者にとって、テロメアが長くなるのは酸化ストレスの影響を受けたためであることを示しています。登山家も宇宙飛行士も酸化ストレスを経験し、それが正常なテロメア維持を妨げているのです。
研究者は、テロメア長変化の経路がどのように機能し、どのような結果をもたらすのか(おそらく長寿の秘訣ではないと思われる)を正確に示そうと努力していますが、「私たちには、今や研究を積み上げるための土台があります。将来の長期の(そして遠い宇宙空間での)探索ミッションに行く宇宙飛行士に起こりがちなことや、注意すべきことが分かっています」とベイリー教授は話します。
変化の中には予期しないものもありますが、心配の種にはならないものが多いです。「人間がいかにうまく宇宙に順応するかには驚かされます」と、ベイラー医科大学宇宙医学センター理事のジェフリー・サットン教授は言います(同教授は新研究には関わっていません)。宇宙にいる間、ケリー宇宙飛行士の血球の突然変異は減少しました(これはメイソン准教授にとってはまったくの驚きでした)。宇宙飛行士たちはまた、老化に関連するバイオマーカーのレベルが低下し、放射線による損傷と微小重力に対する脈管系の反応を抑制するマイクロRNAsのレベルが上昇しました。最も奇妙な発見の1つは、宇宙飛行士の腸内細菌叢が、ISSで発見された宇宙の微生物を地球に持ち帰ったことでした。
「研究を個々に見ても全体的に見ても、非常に優れています」とサットン教授は言います。「私たちは、正確なアプローチとツール、そして探索医療を応用して、人間の宇宙への適応についての理解を深める、宇宙生物医学研究の新時代に突入しました」。
長期的な懸念
しかし、最終的にはどんな健康体であろうと、宇宙ミッションの間にはいかに多くの大混乱やストレスに直面するかをデータは示しており、長期ミッションを計画する際には考慮すべきでしょう。「訓練されていない人々をかなりの長期間宇宙に送ることにはならないと思います」とスコット・ケリー宇宙飛行士は述べます。
生理学的には、人を火星に送って帰還させることはおそらく安全だろうとケリー宇宙飛行士は考えます。しかし、遠い将来には「火星に行く代わりに、木星または土星の衛星に行くことになります」とケリー宇宙飛行士は言います。「何年間も宇宙にいることになります。その時には、負担軽減の手段として人工重力について詳しく研究しなければならないでしょう。どこか別の惑星に着陸したのに身体が機能しないという事態に陥りたくはありません。1年ぐらいならなんとかなりますが、数年となるとおそらく無理でしょう」。
こうしたリスクを評価しなければならない状況は当面の間やってきません。メイソン准教授や同僚研究者は、帰還する宇宙飛行士の身体への重力の衝撃を軽減するための薬理的な戦略があるはずだと指摘しています。
サットン教授は、微小重力や放射線の影響から宇宙飛行士を守るための医薬品を作るのに、適確医療(precision medicine=「精密医療」とも呼ばれる)が大きな役割を担うかもしれないと信じています。そして、宇宙飛行士とエベレスト登山家に共通の生物学的反応が見られるということは、エクストリームスポーツの選手を酸化ストレスから守るための調整作業が、宇宙飛行士にも応用できることを意味します。
我々に必要なのは、より多くのデータ、そして比較のためのより多くの被験者です。メイソン准教授、ベイリー教授、そして彼らの同僚たちは、宇宙飛行士、特にこれから年間を通じたミッションに出る宇宙飛行士の細胞と遺伝子のプロファイルを収集しはじめています。彼らはまた、放射線治療を受ける患者、パイロット、フライトアテンダントなど、宇宙飛行とある意味で似ている他の状態を経験したことのある人々を研究したいと考えています。
「長期間の宇宙飛行が健康に及ぼす影響について知れば知るほど、私たちは宇宙飛行中や飛行後の宇宙飛行士の健康や機能の維持をサポートできるようになります」とベイリー教授は言います。「こうした知識は、地球上にいる私たちにも役立ちます。私たちはみな、老いや不健康を心配しているのですから」。