参考:YAHOO!ニュース 2018/4/6(金)
福和伸夫|名古屋大学減災連携研究センター、センター長・教授
地震・噴火と西洋史
私たちは、中学や高校で世界史や日本史を学びますが、多くの時間は文明の成立や歴史的人物についての学習に割かれていて、災害の歴史を学ぶことはほとんどありません。ですが、かつて、地球規模の地殻変動が生物の大絶滅や進化をもたらしてきました。有史以降も大規模な自然災害が社会に大きな影響を与え、地震国・日本に限らず、世界の歴史も地震・火山噴火によって大きく変化してきました。そこで、一例としてヨーロッパの歴史に残る地震と噴火について記してみます。
噴火で無くなったローマ時代の都市
映画でもよく取り上げられるのはローマ時代の火山噴火です。今から2000年ほど前、西暦79年にベスビオ火山の火砕流がイタリア・ナポリ近郊にあったローマの古代都市・ポンペイを襲い、まちを火山堆積物の中に埋没させました。この出来事は、多くの映画や小説に描かれています。イタリアは、ユーラシアプレートとアフリカプレートの境界近くにあるため、マグニチュード(M)7クラスの地震がよく起きます。
ベスビオ火山が噴火する17年前の62年には、ポンペイで地震があったようです。最近も、2009年ラクイラの地震や、2012年イタリア北部の地震、2016年イタリア中部の地震など、多くの死者を出す被害地震が続いています。
ちなみに地中海は、海洋を挟んだ2つの大陸プレートが近づいて海洋底が狭くなって隆起した状態です。
大地震で衰退したポルトガル
大航海時代に世界を席巻したポルトガルの首都・リスボンは、18世紀半ばに大地震に見舞われました。1755年11月1日にポルトガルの大西洋沖でリスボン地震が発生しました。ユーラシアプレートとアフリカプレートの境界で発生した地震で、M8を超える巨大地震でした。ポルトガルの首都・リスボンは、強い揺れでほとんどの建物が倒壊し、さらに津波と火災によって6万人とも10万人とも言われる死者を出しました。
この後、リスボンの復興が精力的に行われましたが、ポルトガルは衰退への道を辿っていきました。リスボン地震がヨーロッパの人たちに与えた精神的ダメージは大きかったようで、ヴォルテール、ルソー、カントなど、当時の思想家たちにも大きな影響を与えたと言われています。世界を席巻した国でも、たった一つの地震で衰退してしまうようです。1923年関東地震での首都・東京の甚大な被害で、その後、大きく社会が変わり暗い戦争の時代に移っていった我が国の状況とよく似ています。
リスボン地震の後、イギリスを中心に農業革命や産業革命が始まって、ヨーロッパの人口が急増し、資本主義の時代へと移行していきます。そして、ヨーロッパの主役はポルトガルやスペインからイギリスやフランスへと交代していきました。
火山噴火がきっかけのフランス革命
リスボン地震の約30年後、1783年6月8日にアイスランドのラキ火山が噴火しました。アイスランドは大西洋を南北に縦断する中央海嶺の上にあります。中央海嶺は、ユーラシアプレートと北アメリカプレートを生み出している場所です。このため、アイスランドの中心を火山が南北に連なっていて、その一つがラキ火山です。ラキ火山に続いてグリムスヴォトン火山も噴火し、これらの火山から噴出した有害ガスによってアイスランドは壊滅的な被害を受け1/4の住民が命を落としたと言われています。有毒ガスはアイスランド国内に留まらず、イギリスなどにも達し、多くの死者を出しました。
大量の火山噴出物は、世界的な異常気象ももたらしたようで、特にヨーロッパでは長期間にわたって農作物に大きな被害が出ました。飢饉により農民が貧困し、1789年に起きたフランス革命の引き金になったと言われています。フランス革命という歴史上の大事件が火山噴火に関係していたことを知る人は少ないと思います。
ちなみにラキ火山が噴火した1783年には、我が国でも4月に岩木山が、8月に浅間山が噴火しており、これらによる気候変動などで、我が国最大の飢饉、天明の飢饉が起きたと言われています。
なお、アイスランドでは、2010年や2011年にも噴火があり、噴火した火山灰によってヨーロッパの航空機の運行が大きく混乱したことは記憶に新しいと思います。
このように、大規模な噴火や地震は、世界の歴史も動かします。
福和伸夫
名古屋大学減災連携研究センター、センター長・教授
建築耐震工学や、地震工学に関する教育・研究の傍ら、地域の防災・減災の実践に携わる。民間建設会社の研究室で10年間勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科で教鞭をとり、現在に至る。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。