新型コロナの重症化を左右する意外な原因とは?

参考:MIT Tech Review 2021年4月16日(金)

新型コロナのパンデミックは適確医療への扉を開くか?

新型コロナウイルス感染症の大きな謎の一つに、一見するとあまり大差のなさそうな感染者が、同じ病原体に対して大きく異る反応を示すことがあります。DNA自動解析装置の発明者の一人として知られるリロイ・フッド博士は、今回のパンデミックが、すべての人に適確医療を提供するという彼のビジョンを実現させるための貴重な機会になると見ています。


DNAの自動シーケンサーを共同発明したことで有名な技術者および免疫学者のリロイ・フッド博士は、1990年代に大胆な予測をしました。2016年までには、すべての米国人が自分の遺伝情報と病歴に関する膨大な詳細情報を記録したデータカードを携帯しているというのです。患者は病院や診療所に到着すると自分のデータカードを医師に渡します。医師はそのカードをコンピューターに挿入するだけで「患者の健康状態をすぐに把握できます」。

それから25年経ちましたが、個別データに基づく適確医療というフッドのビジョンの実現にはまだほど遠いようです。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックで利用できたかもしれないと思うと、非常に残念なことです。

新型コロナウイルス感染症ほど、患者ごとに症状の異なる感染症は少ないです。

一見するとあまり大差のなさそうな感染者が、全く同じ病原体に対してこれほど異なる反応を示す理由をはっきりと説明できる人いません。なぜ感染者の一部は鼻風邪程度の症状で済み、他の患者は人工呼吸器が必要になるのでしょうか。なぜ新型コロナウイルスによってある患者は肺を、別の患者は心臓を、そして3分の1の患者は神経系を攻撃されることになるのでしょうか。なぜ後遺症に苦しむ人と、完全に回復する人がいるのか。なぜ一部の感染者は全くの無症状なのでしょうか。

初期の新型コロナ感染者がもし、フッド博士の提唱する健康データ満載の医療カードを持って病院に到着していたなら、このような疑問はすでに解決されていたのではないか、と思わずにいられません。「現在の状況よりもはるか先に進んでいただろうと思います」とフッド博士は語ります。

しかし、83歳のフッド博士はこれまでずっと、過去を振り返ってあれこれ考えを巡らしたことはありません。科学的な野心とせっかちなことで知られるフッド博士は、終身在職権のある安定した大学の仕事を61歳で辞め、シアトルに非営利の生物医学研究所「システム生物学研究所(Institute for Systems Biology:ISB)」を共同設立しました。フッド博士は現在のパンデミックを、データが病気の理解に役立つことを示す一生に1度のチャンスだと考えています。30年にわたって医療変革を求めてきた活動に、パンデミックが再び活気をもたらしてくれることを期待しているのです。

医療変革を長年提唱してきた他の多くの研究者と同様に、フッド博士は医学への私たちのアプローチはあまりにも画一的過ぎると主張しています。全般的に、同じ病気の人は同じ治療を受けます。この方法では、患者間のゲノムと免疫システムの大きな違いを考慮することができません。しかし、真の適確医療を実現するという夢は、変化を好まず動きの鈍い医療制度に阻まれて苦境に陥ってきました。そのような医療制度では、患者データは役に立つというよりも厄介なものと見なされることが多いです。

宿主要因の違いが重要なカギ

このこう着状態を新型コロナ危機がついに打開することになるのでしょうか。

新型コロナ関連の膨大なデータ

フッド博士とISBの所長であるジム・ヒースは2020年3月、なぜ人々が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対してこれほど異なる反応を示すのかという疑問に答える野心的な研究を開始しました。この研究は、新型コロナウイルスに対するヒト免疫応答の分野で最も包括的な分析になりつつあります。

ISBの研究チームは、新型コロナウイルス感染症で入院している数百人の患者を対象に、病状が進行していく各段階で各患者から複数の血液サンプルを収集しました。次に、各患者の免疫応答を分子レベルまで追求して合計12万件の変数を分析しました。さまざまな種類の免疫細胞を調べて、免疫細胞が活性化しているか、疲弊しているか、休眠しているか、などを判断し、

新型コロナウイルスに結合して同ウイルスを攻撃することを可能にする免疫細胞の表面タンパク質の顕著な特性を調べました。

ISBの研究チームはまた、患者のゲノムの配列を決定し、電子カルテを引き出し、完全なタンパク質プロファイルと「メタボローム」(サンプル中のタンパク質以外のさまざまな分子群)を分析しました。そして、最新のパターン認識と機械学習手法を使って、患者同士、および患者と患者と同年代の健康な人と比較しました。

この大規模な研究の最初の結果が、昨年秋に『セル(Cell)』誌で発表されました。そこには驚くべき洞察がいくつか含まれていました。最も注目に値するのが、新型コロナウイルス感染症の病状が軽度から中等度の段階に進行するにつれて、

一部の患者にある変化が起こっていたことです。効果的な免疫応答にエネルギーを与えるために必要となる主要代謝物の供給量が低下していたのです。つまり、体内で反撃するのに必要な原料が不足してしまっていると考えられます。

したがって、食事内容の変更や栄養補助食品の利用のような単純な対策で、機能が低下した免疫システムを強化できるかもしれません。

「免疫システムほど人それぞれ異なるものはありません」。この研究に参加したスタンフォード大学の免疫学者マーク・デイヴィス教授は語ります。人間の免疫システムには大きな可塑性があり、過去の経験に反応するとデイヴィス教授は指摘します。反応は非常に敏感であり、測定可能な要素の70パーセントは、生後わずか2年の一卵性双生児の間でも異なります。

新型コロナウイルスが人々に与える影響がこれほど幅広い理由を理解するための鍵は、病気を克服した人と死亡した人の免疫システムの違いを特定することだとデイヴィス教授は考えています。この違いは、他のコロナウイルスへの暴露歴などの単純なものから、遺伝的多様性などの複雑な要因にまで及ぶ可能性があります。循環する免疫細胞による査察に対し、特定の細胞が自身の表面にウイルスのタンパク質断片をどのように提示するかといったことです。細胞が提示するタンパク質は、免疫細胞が危険な病原体の存在を認識し、警鐘を鳴らし、大量の抗体を動員して攻撃を開始する確率の高さに影響を与え得ります。

「現在、膨大なデータが存在します。これまで入手した中で最高の品質のデータであり、最も大量のデータでもあります」とデイヴィス教授は言います。

科学にとっては間違いなく有益です。しかし、ISBの研究は患者の治療法を変え、将来のパンデミックへの備えに役立つのでしょうか。フッド博士は楽観的です。「これにより、私が過去20年間主張してきたすべてのことが完全に検証されます」。

必要となるツール

フッド博士は医科大学で学び、カリフォルニア工科大学で博士号を取得した後、キャリアの早い段階で免疫学に大きく貢献しました。特殊な形の侵入病原体の外面に結合し、誘導ミサイルの特異性で侵入病原体を破壊できる約100億種類の抗体(Y字型タンパク質)が、体内でどのように産生されるのかという謎の解明に一役買ったのです。

キャリア初期の成功にもかかわらず、テクノロジーの飛躍的進歩がなければ、まだ答えの出ていない免疫システムに関する最も興味深い生物学的疑問に答えを出すことは不可能だと、フッド博士は当初から認識していました。その疑問への答えが、免疫システムが非常に複雑な細胞型とタンパク質の組み合わせをどのように調整するのかを明らかにします。これらのすべての要素がどのように連携するかを免疫学者が理解するためには、まずその要素を認識し、特徴づけ、測定する必要があるとフッド博士は気づきました。

システム生物学研究所(ISB)のジム・ヒース所長

カリフォルニア工科大学のフッド博士の研究室は、生物学者がアミノ酸の配列を読み書きできるようにする機器や、DNAヌクレオチド(遺伝コードの構成要素)を合成できる機械など、さまざまなツールの開発において重要な役割を果たしました。おそらく最も有名なのは、1986年に初の自動DNAシーケンサーの発明に貢献したことでしょう。ゲノム内のヌクレオチドを素早く読み取り、その順序を決定できる機械です。この発明によって、完全なヒトゲノムの第一草稿を作成するための30億ドル、13年間の取り組みである「ヒトゲノム計画」への道が開かれました。

その後の数年間、フッド博士は、分子生物学の新しいツールを利用して個々の患者からデータを収集する医療変革を提唱しました。患者のゲノム配列、および血流を循環するタンパク質の完全リストを収集してから、機械学習とパターン認識の初期システムを使ってこのデータを分析すれば、興味深いパターンと相関関係を引き出せるでしょう。そこから得られた洞察を利用すれば、人々の健康を最大限に高め、これまでよりもはるかに早い段階で病気を食い止められるかもしれません。

すべて科学的には完全に納得の行く主張でした。しかし、

2003年にヒトゲノム計画が完了してから20年近くが経過し、ゲノム科学とデータサイエンスが大きく進歩したにもかかわらず、フッド博士が予測した医療革命はまだ起こっていません。

その理由の1つに、以前はツールが高価だったことがあるとフッド博士は語ります。しかし今では、ゲノム・シーケンシングは300ドル以下で可能です。さらに、研究者は「データを包括的に統合し、データを知識に変えられる」計算ツールを使えるようになったとフッド博士は主張します。

最大の障壁となっているのは、非効率的で、変化に抵抗を示す医療制度です。「多様な種類のデータを取得して統合することがいかに重要化について、理解が不足しています」とフッド博士は言います。「ほとんどの医師が医大で学んだのは5年、10年、20年前です。こうしたことについては一切学んだことがありません」。

「皆、非常に忙しく、変化には時間がかかるので、利益になることを指導的立場にある人と医師に説得する必要があります。そのすべてが、私が思っていたよりもはるかに難しいことが分かりました」。

パンデミックの教訓

フッド博士は今でも、自分のビジョンを懸命に主張しています。長年の挫折にもかかわらず楽観的なのが彼らしいところです。フッド博士が改めて期待を寄せる理由の1つに、彼がようやく次の壮大な実験を開始するための患者と資金を利用できるようになったことがあります。

2016年、ISBはシアトルのプロビデンス・ヘルス&サービス(Providence Health&Services)と合併しました。プロビデンスは51の病院と数十億ドルの現金を保有し、より確固たる研究プログラムを開発したいと熱望している大規模な医療サービス・ネットワークです。

合併後すぐにフッド博士は、彼が「ミリオンパーソン・プロジェクト」と呼ぶ計画を開始するために、信じられないほど野心的なキャンペーンについて積極的に語っていました。フェノタイプ(表現型)解析と遺伝子分析を文字どおり100万人に適用するプロジェクトです。フッド博士は2020年1月、5000人の患者を募集してパイロットプロジェクトのスタートを切り、ゲノム・シーケンシングを開始しました。

その後、初期の新型コロナウイルス感染者が病院に到着し始めました。

フッド博士とジム・ヒース所長は、製薬大手メルク(Merck)の100億ドルの研究予算を監督していたISBの取締役であるロジャー・パールマターとビデオ会議を実施しました。彼らは謎の新たな病気についてわかっていること、そしてさらに重要なこととして、緊急に答えが求められている科学的疑問について話し合いました。

3人の科学者が新型コロナウイルスの課題に狙いを定めるまでそれほど時間はかかりませんでした。

「当時、差し当たっての疑問は、正直言えば今でも疑問なのですが、なぜ多くの人が感染しているのに、ほんの一部の人だけが重症化するのか、ということでした」とパールマターは語ります。「そして、その移行の特性は何かということです。無症状か軽症の感染症が重篤な病気へと移行する特性は何か、どんなふうなのか、そして、分子細胞生物学の観点からそれをどのように理解できるのか、といったことです」。

その日のビデオ会議で、フッド博士とヒース所長には大きな要望がありました。2人はパールマターに、新型コロナウイルス感染症に顕著な多様性の原因を明らかにできるかもしれない分子レベルの包括的分析を実施したいので、資金を提供してほしいと言ったのです。

「誰かに呼び出されたときに、『もちろん、いいですよ。今、小切手帳を持っていますから、払いましょう』とは通常、言いません」とパールマターは回想します。「しかし、私はそのビデオ会議で、費用を負担する準備を整えましょうと言いました。私たちにはそのデータが必要でした。そして、そのデータが必要なときに、彼らが資金調達に苦労しているのを見たくはありませんでした」。

新型コロナ患者であふれかえっていたプロビデンスでも、その緊急性は明白でした。ISBの研究チームは、かつてないほどの特異性で患者の免疫応答を特徴づけるデータの収集を開始しました。ヒース所長が率いるチームは偶然にも、その目的に使える優れた機器一式を既に持っていました。卵巣がんと結腸直腸がんを治療するための優れた免疫療法を開発するために、再発の危険があるがん患者の研究をしていたのです。

「通常、そのような検査は準備を整えるのに少なくとも6か月かかりますが、2~3週間後には検査が進行していました。患者を募集して採血し、検査を開始していました」とフッド博士は振り返ります。

フッド博士のミリオンパーソン・プロジェクトは、新型コロナウイルスが広がったときに一時的に中止されましたが、博士は長期的な挑戦に焦点を合わせ続けています。「新型コロナのおかげで世の中に出て、このような研究を実施するために2000万ドル近くを調達できました」とフッド博士は語ります。「資金の一部は計算プラットフォームの構築と優秀なデータ・サイエンティストの採用に使いました。採用したデータ・サイエンティストは皆、新型コロナが落ち着けば、ミリオンパーソン・プロジェクトにそのまま従事できます。将来的には、一連の疾患全体に対してディープ・フェノタイプ解析を使用した治験の準備に取りかかる予定です」。

このような予測はまさにフッド博士らしい。ほぼ30年にわたって個別医療を提唱し続け、進歩はほとんど見れれないにもかかわらず、彼の野心と果てしない熱意によってこの予測は形作れれています。

フッド博士の壮大なビジョンが実現したとしても、新型コロナの最悪の影響からの救済には間に合わないでしょう。しかし、フッド博士はパンデミックが生み出したチャンスを明らかに楽しんでいます。「新型コロナのパンデミックにより、緊急性があれば、電光石火で物事を成し遂げることが可能だということがはっきりしました」と博士は語ります。「通常、物事を成し遂げるには延々と時間がかかります。しかし、危機的状況ではすべての煩雑な手続きは脇へ押しやられます」。

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