参考:MIT Tech Review 2021年2月12日(金)
米国で新型コロナワクチンの接種が始まっていますが、パンデミックが収束するかどうかは分かりません。ワクチンを受けた人が無症状感染してウイルスを他人に感染させる可能性についてはまだエビデンスがなく、もしそれが可能であれば、ウイルスはいつまでも居座り続けることになります。
アルゼンチンのジャーナリストであるセバスチャン・デ・トーマは昨年、ファイザーによる新型コロナウイルス感染症(COVID-19)用ワクチンの治験に参加し、8月と9月に接種を受けました。本物のワクチンを打たれたのか、それともプラセボ(偽薬)を打たれたのかはいまだにわかりませんが、1月31日の日曜日、治験をしている医師から連絡が入りました。
医師は、新型コロナウイルスの検査を定期的に受ける気はないかと提案してきたのです。キャビファイ(Cabify、スペインのライドシェア・サービス)による送迎付きでブエノスアイレスにある軍の病院まで行き、「車の窓から私の鼻腔を綿棒で拭う。ただそれだけです」といいます。
ファイザーがアルゼンチンと米国の一部の被験者へ追加のウイルス検査を提案しているのは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関してまだ明らかになっていない重要な疑問に答えを出そうという試みの一環です。ワクチンを接種した人が無症状感染する確率はどれくらいなのか、また、ワクチンを受けた人たちもウイルスを人に感染させることはあるのでしょうか。
感染者からさらに感染が広がる「前方感染」をワクチンで食い止められるかどうかは、今後パンデミックがどうなるのか、いつごろ元の生活に戻れるのかを決定付ける重要な要素となる可能性が高いです。現時点では、ワクチンで感染を減らすことはできますが、完全に阻止することはできないという意見が優勢です。
「まだわかりませんが、重要な疑問です。その答えによって、マスク着用を続けるかどうかや、人々の行動に影響が出てきますし、レストランや映画館へ安心して行けるようになるかなど、ワクチンで期待される全体的な恩恵に関わってくるからです」。米国で複数のワクチン治験を実施している「COVID-19予防ネットワーク」の運営を率いるローレンス・コーリー教授はそう話します。
サイレント・スプレッダーの謎
「ワクチンにできることは、3つあります。感染を防ぐこと、前方感染を防ぐこと、そして発症を抑えることです」と解説するのは、コロンビア大学の公衆衛生研究者であるジェフリー・シャーマン教授です。完璧なワクチンは、「殺菌(sterilizing)」免疫というものを作ります。それが作られれば、ウイルスは体内で足場を築くことすらできません。ですが、一部のワクチンは低レベルの感染を許し、体に免疫をつけさせて、発症を抑えます。その場合は一定量のウイルスが体内に蓄積され、それが他の人に感染する可能性もあるかもしれません。
ワクチンで感染をどこまで阻止できるのかは、今のところ不明です。それを測るのはかなり面倒で、巨額の資金がかかるためです。ファイザーやノヴァヴァックス(Novavax)、モデルナ・セラピューティクス(Moderna Therapeutics)などの製薬会社は昨年、新型コロナワクチンの大規模な研究を開始し、ワクチンが新型コロナ感染者の重症化や死亡を防ぐことができるかどうかを調べました。その結果を驚くべきものでした。ワクチン接種を受けた人の中で、集中治療室に入ったり人工呼吸器が必要になった人はほとんどいなかったのです。
ですがその時、ワクチンの「間接的な」効果、すなわちワクチンで前方感染を防げるかどうかについては調査されませんでした。一部のコンピューターモデルでは、感染を阻止することでより多くの命が救われるという予測は出ていました。エモリー大学の研究チームが8月に発表したモデルでは、病気の発症を防ぐ効果は低くても、感染の拡大を防ぐ効果が高いワクチンであれば、全体的な死者数を減らせるという結果が出ました。なぜなら、アウトブレイクを抑えることで、全体的な感染者数を減らせるためです。
そこでファイザーが今実施しているのは、ワクチン接種を受けた人がどれくらいウイルスを拡散するのかを把握するための調査です。デ・トーマに連絡してきた医師は、ワクチン接種者の中で無症状のまま感染している人を探していたのです。
これまでの研究では、ワクチンで感染はある程度抑えられるものの、完全になくすことはできない可能性が示されています。例えば、ワクチンを接種されて体内にウイルスを入れたサルは、感染はしたものの目立った症状は示しませんでした。全体的に、気道で見つかったウイルスの数もごくわずかでした。
「感染力と症状は相関関係にあることを示す有力な証拠があります。」症状を抑えることができていれば、感染力も抑えられると考えて良いでしょう」と、シャーマン教授は言います。
それならば無症状者は誰にも感染させないのではないかというと、そうでもありません。パンデミックが始まったばかりの頃に、一部の人は新型コロナウイルスに感染しても無症状のままウイルスを広げていたことが明らかになりました。今では、このような「サイレント・スプレッダー」は、感染させる人の平均数は少ないものの、確かに存在するという証拠があがっています。米国疾病予防管理センター(CDC)の疫学者が参加するチームが1月7日に公開したレポートは、
感染者のうち3分の1が無症状ですが、全体の感染のうち4分の1は、その無症状者が拡大していると推測しています。
別の新型コロナワクチンを製造するモデルナ・セラピューティクスは、感染力について調査しているかどうかという質問には回答していません。ですが、同社が12月に米国食品医薬品局(FDA)へ提出した初期データから、ひとつの手掛かりを見ることができます。ワクチンの接種を1回受けた被験者は、プラセボを受けた被験者よりも検査で陽性になる確率が66%低かったといいます。モデルナは、「ワクチンを1回打っただけでもすでに、無症状感染をある程度防ぐ効果が出始めています」と示しています。
ですが、鼻腔のウイルスを検査して無症状者を見つけ出したからといって、その人たちが他の人へ感染を拡大していることの証明にはなりません。それを調べるために、COVID-19予防ネットワークの研究者らは昨年、ルイジアナ州立大学など24の米国大学で2万人以上の学生を対象とする調査を提案しました。ワクチンを接種した学生と接種していない学生の鼻腔の粘膜の検査を「ほぼ毎日」実施し、どれくらいの量のウイルスが正確にいつ気道に現れるかをモニターします。これに接触者追跡を合わせて、ワクチンを接種した学生がどれくらいウイルスを広げたかを地図に表すといいます。
「鼻腔内でのウイルスの獲得とウイルス価を把握することによって、たくさんのことがわかります」と、コーリー教授は言います。「さらに、接触者追跡によって、その人がどれほどウイルスを拡散しているのか、つまり『前方感染』がどれくらい起こっているかを推測できます」。
ところがこの提案に関して12月31日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙は、予算がかかりすぎることと実行可能性が疑問視されたため、研究資金が降りなかったと報じました。コーリー教授によると、グループはその後、内容を修正して再提出し、現在は米国立衛生研究所の審査待ちだといいます。コーリー教授は、この研究には実施するだけの価値があると信じています。「とにかく、知っておく必要があります。結果次第では、感染拡大を抑えるワクチンに的を絞ったほうがいいということになるかもしれません」。
ウイルスの根絶へ
研究者たちは、感染を防止することが、新型コロナウイルス根絶の唯一の方法であることを理解しています。パンデミックを収束させるひとつの方法は、「集団免疫」を達成することです。十分な数の人がワクチンを接種するか感染すれば、ウイルスの感染先となる人間の数が少なくなって、アウトブレイクは自然におさまっていきます。一般に、人口の70%が感染すれば集団免疫が達成できると考えられています。
ですが、もしワクチンを接種した人からウイルスが「漏れて」いる、つまり、まだウイルスが拡散しているとすれば、その数値は引き上げられます。実際、基本的な計算をしただけでも、ワクチンによって感染が3分の2以上予防できなければ、集団免疫を獲得することは不可能であることがわかります。しかもそこには、多くの人がワクチン接種を拒否するであろうことは考慮に入れられていません。さらに、せっかくの免疫がウイルスの新しい変異株には効かないかもしれないという研究結果も積みあがっています。
もし、ワクチンが完全に感染を防止できなければ、「ウイルスは出回り続け、集団免疫の達成も難しくなります。いつまでたってもウイルスが人々の間に居座り続けることになってしまいます」と、コーリー教授は言います。
世界保健機関(WHO)と協力していた医療リスク・コミュニケーターのジョディー・ラナードは、ワクチンと感染に関する疑問が解決するまでは、公衆衛生当局は矛盾したメッセージを発信しなければならないだろうと話します。一方では、「マスク着用を続けてください」と言って、ワクチンを接種した人でもウイルスを拡散する可能性があることを暗に示唆しながら、もう一方では「ワクチン接種で感染拡大が防げるという考えに過剰な期待をかけ」、ハイリスクでない人も含めて全員にワクチン接種を推奨するという状況になります。
ラナード自身、ウイルスを避けるために極端な予防措置を取り、できるだけ外出しないようにしてきました。外出する際には、特殊なマスクとゴーグルをつけてエレベーターに乗るといいます。最近になって何とかワクチン接種の予約を取ることができ、接種を受けた今ようやく、若い親戚に会いに行こうか考えていると言います。
ですが、少なくとも、現在住んでいるニューヨークの陽性者数が落ち着くまではマスクの着用を続けるつもりです。「パンデミックがここまで来て、今さら感染してしまったらばからしいです。ワクチンのおかげで、私は良く守られているおばあちゃんです。一番避けたいのは、守られていないおばあちゃんに感染させてしまうことです」。